Re: 因果律と自由意志


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投稿者 伊知地 充 日時 2004 年 5 月 09 日 07:30:11:

回答先: Re: 因果律と自由意志 投稿者 スターダスト 日時 2004 年 5 月 08 日 11:49:40:

補足説明させて下さい。

最初に。私の文章は性急な部分と、蛇足な部分が多分に混在していると思う
ので、読者の理解を妨げることがあるかも知れないということを前置きいた
します。

まず、自由意志とは、自らを根拠とする《自在な意志》という風に私は一応
解釈しています。自分の意志であればそれが自由意志だとの解釈は、あまり
にも短絡すぎます。よく用いられる「あなたの自由意志でお答えください」と
いう場合の自由意志は倫理的な自由意志ではなく、制約や拘束を考えずに意
志を表明せよというだけの自由意志に過ぎません。また、制約や拘束は、そ
れを意識する上でわれわれを不自由にはするが、《非自由》ではない。むし
ろ、われわれは不自由な立場、境遇に置かれたときほど、意志的自由を感じ
るものであり、倫理的自由意志の対象とはなりえない。
私が問題にしているのは、まさに《意志の非自由》であり、《根源的に自分
の意志を自在に操れるか》という点にあります。
《自在な意志》などというものは、私には考えられないのである。

「人間は考えるし、悩める存在だから、それが自由意志の証だ」と私に諭して
くれた人がいました。私はそれを聞いて笑うどころか唖然とするのみでした。
果たして、人間は自由な意志をもつから考え悩むのでしょうか。悩むことが
どうして自由であることに結びつくのか、私には理解できない。「だって、結
果が決定しているのなら、悩むというプロセスは無駄じゃないか」とでも言う
のでしょうか。ならば、すぱっと決断するのは、自由意志の所産ではないの
でしょうか。いろいろ結論に至るまで紆余曲折があることを自由意志の存在
の根拠とするのは間違っている。

私の基本的な問いかけ。
《あなたの意志を自在に操ることができますか》
《あなたの意志をいかにも他者の意志であるかのように操れますか》
《あの時その決断を思いつけなかったはそのときに思いつくことを止めたか
らですか、あるいは思いつかぬことをあらかじめ計画したのですか》
《粘土細工のように自由に意志を造形できるというのなら、あなたは自分の
意志の断片のすべてを自分のシナリオどおり発生させていることになりませ
んか。また、あらかじめシナリオを書いた自分と言うのは何処にいるのです
か。》

《私の意志・心》は存在します。しかし、私の意志を自在に操るもう一つの
(より高次元な)私の意志・心は存在しません。私が意識するこの私の意志
心以外に、倫理的自由の担体は存在しない。少なくとも、倫理的自由を追究
する場では仮想的な存在は排除されるべきです。
高次元な意志、《魂》が存在するのですか。あるいは《真空を埋め尽くす意
識のエネルギー》ですか。やめてください。私は《魂》として存在したこと
も、偏在する意識エネルギーと同化して存在したこともありません。また、
そうしたものが存在したとしても、自分および自分の心・意識とは別物だか
らそのように語られるのです。意志そのものの自由を問うのであって、より
高次元なステージへと自分を近づけること、より高次な、われわれの内的な
現象(心)にも関与しうる力を想像することは、倫理的自由の論議とは関係
ありません。横道です。
無論、私は宇宙の無限の表現のひとつとしての自分を感じています。しかし
ながら《自由意志》という概念は、人間が考えた捏造物だと考えています。

自分の心の動き(想念・感情等)を凝視すること。
そこには常に《結果》しかありません。
気づく、考え込む、ふと違う考えがよぎる、なぜか可笑しい、腹立たしい、
共感、思い出せない、あせり、何だこんなことかとまだ合点した内容もわか
らずにいる状態、理解したと意識する、等等。
自分の心は予測できず、かつ予定できない。自分の心を客観視するのも、結
果としての心。見つめなおす心の姿勢は自分の意志によって予定されたもの
ではなく、さらに心の姿勢を予定しようとする心も自分によって意志された
ものではない。心はつねに偶発的、自分の意志が先立たない《結果》の世界。

自分であらかじめ決定できなくて、何故の《自由意志》なのか。自己原因的
な意志とは、自らの意志であらかじめその内容を決定しうる意志のことを言
うのではありませんか。そして、あらかじめ心という結果の場ではなくして
高次な原因の場にある自分というものを体験できた人はいるのですか。また、
そういう術を体得できた人がいたとしても、それに至った経過はすべて根源
的な自由意志による所産ではない。

心とわれわれの身体(脳を含む)は表裏一体だとのべました。身体に精神や
心が宿っているわけではなく、脳や身体の別の表現として精神や心があると
ものべました。このことが何故、自由意志の否定に繋がるのかというと、存
在の根拠がわれわれ自身ではないからです。
受精卵の時代から、われわれはわれわれ自身だと思います。しかしながら、
その最初においてわれわれはわれわれ自身のすべてついて関与していません。
われわれは存在を受け取ったわけでも、自らを生み出したわけでもありませ
ん。存在であること、その個体であること、その個体の内的な現象であるこ
と、結果であること、これがすべてです。
《結果である自身を考え、自身を問題視することによってそこから脱け出て
おり、自由でありえる》などという詭弁は通用しません。結果は結果として
現象の存在であり、現象は原理・法則・プログラムたりえない。

よく引き合いに出される《不確定性原理》は、人間の自由意志の立証にはあ
まり役立ってくれません。脳も物質であり、量子レベルでは測定不可能つま
り決定論的ではなくなるので、脳の活動の結果としての人間の心の動きも不
確定であり、決定されないということだ。これは因果律から免れているとい
う意味では有力な論拠となっている。
しかしながら、決定論的であるか否かだけが自由意志論争の的なのではない。
根本的には、自身の意志および意志決定のプロセスにおいて、自身の意志が
決定的に関わっているかということが重要である。すなわち、意志への意志
であり、意志に先立つ意志、意志をコントロールする別の意志が存在するか
ということである。時間的に先行する意志のことを言っているのではない。
想念・感情・思考その他われわれの心の状態を前もって自在に決定する意志
が自由意志の大前提である。これが前提としてなければ《自由な》《自己原
因的な》意志とは言えなくなる。

私は自分の個人的思想を述べているつもりはさらさらない。自分の論理的帰
結を述べているに過ぎない。面白がらせたり、元気付けたり、悲しくさせる
ために脚色する必要もない。思想ではないので、設定が間違ってるとか論理
的に飛躍があればご指摘・ご意見は大歓迎です。

今回はここまで。





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