最後の時


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投稿者 ラピス 日時 2000 年 3 月 31 日 23:05:16:

人は、その人生の最後の時に、総合評価を受けるようです。
肉体の終りが、その人生の終りとされて、
「惜しい人を亡くしましたね」
「よくできた方でした」
周りから様々に評価を受けます。
もちろんそういった場で、死者をむち打つようなことを
言う人はいないでしょうが、その最後の儀式に集うのは
少なくともその人を支持する人たちなのでしょう。
例えそれが義務的なものであったとしても。

人は、その生をかけて、己の「真実」を伝えようとします。
表現しようとします。
それがどれだけ多くの人に伝わったか、受け取ってもらえ
たか、最終的に解るのは、その生の最後の時です。

日常の、どれほど些細に思えることであっても、常に自己の
エッセンスを込めるのは、時には面倒だったり、時には
うっかりしたりということもありますね。

でも、できるなら、常に真剣に、小さなことも大きなことも
分け隔てなく、自己のエッセンスを込めたいものです。
それらひとつひとつの積み重ねが、『私』という存在を
創っているのですから。
創ったものを途中で壊して、またやり直すことも可能です。
そうして、最後の時を、一番満足のいく『私』として
迎えたいと…ふと、考えました。


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