Re: ???


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投稿者 伊藤睦史 日時 1999 年 2 月 03 日 20:35:54:

回答先: ??? 投稿者 くませんせい 日時 1999 年 2 月 02 日 14:00:50:

> どうも違和感を感じてしまいます。「宇宙哲学」、「研究」、などなどの言葉です。私達は神の国の中で生きているわけで、そこには当然重力と同じで神の法則のみあるわけです。なんか、それらはアダムスキーの本に出てくる言葉ではありますが、皆さんの御投稿にもよく使用されており、違和感および力みを感じてしまいます。私の場合、常識として(九九と一緒で)アダムスキーをはじめ釈迦、イエスの言葉などを置いていることによって、日常生活の中でそれに対する確信が強くなることに度々出会い、また導きも自覚します。「研究」、「哲学」、「マインド」、「意識」などなどの言葉を多用されるのは、怒られるかもしれませんが、どうも力みを感じてしまいます。自然界の創造物、全て神の法則の中で生きておりますが、少なくとも(知能云々言われるかもしれませんが)力んではいないと思います。いくらあがこうと常に神の国神の法則の中で生きているので、他への貢献など自らの使命を全うすることを考えて生きていけば進歩はあるのではないかというのが私の考えです。イエスも釈迦もアダムスキーも同じことを言っているのに言葉がまるで違います。自然に神の法則の中で生きていくのは間違いでしょうか?

力まずにいきるのは私は同感です。正しいと思います。
私の経験からすると、たいてい力んでいるときは堂々巡りをしがちのようです。
ただ、力みというのをどういう意味で言われているのでしょうか?
私のことですが、集中と適度な緊張も必要で、その間にリラックスするというサイクルが最も効率的に新しいことに気がつき前進できます。
この時の集中と緊張も力みなのでしょうか?

GAPの月例会などではこのリラックスが重要でテレパシーの練習などをする際にはその前にリラックスすることをしています。

私も最近このHPをチェックし始めたので前のディスカッションには詳しくありませんが、リラックスに関する話が出てきても良いかも知れませんね。

伊藤


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