Re: 因果律と自由意志


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投稿者 伊知地充 日時 2004 年 5 月 14 日 17:26:30:

回答先: Re: 因果律と自由意志 投稿者 伊知地充 日時 2004 年 5 月 13 日 05:52:20:

自由意志に関して理解の混乱が生じる原因について考えてみた。

そのひとつ。われわれが日常習慣的に使っている自由意志と、
哲学の場で論じられる自由意志は根本的に違うということ。日
常使っている自由意志の認識のみで哲学の自由意志の論議に参
加しようとすると思考は混乱に陥ってしまう。日常われわれが
使っている自由意志という言葉は、自分で結論を出した意志と
いうくらいの意味でしかないが、哲学の場での自由意志は《原
理的にわれわれは違う意志もなしえるか》というところまで考
える。自由意志という言葉には、意のままに働く意志という意
味も持つが、これを突き詰めると《それを意志しないことをも
意志しうるということであり、自分の意志を超然として支配す
る何かしらのものがあるとしなければならない》ということに
なるのだ。少し解りやすく言えば、われわれは神のように自身
の意志というサイコロを意のままに操ることができなければな
らない。非自由意志論者はそんなことありえないとして、否定
するわけである。

ふたつめ。自由意志論に対抗してきたのが、いわゆる決定論で
ある。だから、決定論的宇宙を否定することに始終してしまい
自由意志の根本を忘れてしまうケースがあるということである。
前述した《われわれは神のように自身の意志というサイコロを
意のままに操ることができる。》ということを自由意志論者は
立証せねばならないのだ。立証できなければ、われわれの意志
は、偶発もしくは不可避のものということになってしまう。
「偶発的にせよ自分の意志であることには間違いない」というの
は、日常的な自由意志のレベルに逆戻りすることで、何ら問題
の解決にならない。

三つめ。《自由意志》と《偶発的自由意志》の混同。
自由は「あくまでも自身が根拠であり、自身が決定すること」だ。
偶発は「何故あんなことを思い、意志したのか自分でもわからな
いが、自身の考えであり、自身の意志であることには間違いな
い」ということで納得してしまうことである。
偶発的自由意志が自由意志だと思い込む人は、《心の一瞬一瞬
を自身の意志で決定する》ことが自由意志であることを理解で
きない。《心の一瞬一瞬を自身の意志で決定する》ということ
は《自身の意志を、神のように超然と操ることであり》、根源
的に自由意志であることの必須条件である。そんなことは出来
るはずも無いとすれば、偶発的自由の混沌のなかに引きこもる
以外に無い。

四つめ。《自由》というと、どうしても《〜への自由》しか考
えないことで理解が妨げられる。
哲学の場で倫理的自由意志を考えるとき、それは存在するか否
か、である。根源的なものなので「そこまでは必要ない」とか、
精神的鍛錬でどうにかなるものではない。
自由意志はそれを妨げたり、制限することはできないものなの
である。    
詳しくは前回の投稿で明示した。

五つ目。われわれはどうしても精神以外を《物》としてしか考
えられず、その為自身の脳のことなど考えない。ひどい場合は
脳もわれわれの精神下においてしまう。脳を単なる計算機や記
憶媒体ぐらいにしか考えていない人も非常に多い。だから「頭
を使って考えろ」というのをそのまま「自分の脳に命令して理解
できるようにすること」と思い込んでしまうのである。
非自由意志論者の多くは逆であると主張する。脳の働きは記憶
したり身体の各器官から送られてくる情報を処理しているだけ
ではない。それは、われわれが心と呼んでいる感情や意志・意
識にまで及んでいる。つまり、脳が主人であり、われわれはそ
れに従っているだけだと。
しかしながら、このような主従関係を想定するのは不自然であ
る。われわれは脳に命令したという経験も、脳から命令された
という経験も無い。互いに相手は見えず、別の次元に存在する
からである。
私はとりあえず《心は、自身の脳を含む体の活動の内在的な結
果である》と考えた。心は実体ではない。映画のスクリーン上
に展開する物語のようなものだと考えてもよい。心自身が結果
であるということは、それ自身の心、すなわち心の心を持たぬ
ということにほかならない。結果としての心というのはまさに
習慣的な自由意志に囚われていた人からすればコペルニクス的
転換であり、相当困難なことである。
近い未来にわれわれは意識を有した自律型ロボットを発明する
かも知れぬ。もともとのプログラミングは人間がしたものだが、
そのロボットはみずから行動し、情報を求め、自らのプログラ
ムを修正する能力を持つだろう。学習・挑戦のプログラムはあ
らかじめ持っているのだが、彼は《私は心を持つ》と主張する
だろう。

六つめ。自由意志という倫理的意味は、心が心を決定すること
である。意志が意志を決定するということである。単なる心や
意志は偶発のものだからだ。しかし、心が心を決定するために
は前もって《次に来る心の内容を決めておくための心》が必要
になるという自家撞着に陥る。結果としての心は《時間》に拘
束されているので過去にもどることも未来に行くこともできぬ。
原因としての心を想定するとわれわれの意識からは超越したも
う一つの心を持たねばならぬが、それはもはやわれわれのもの
とはいえない別次元のものである。

七つ目。これは感情から来る反発である。非論理的なものなの
で、これはどうしようもない。同じ土俵には立てない。

以上。非自由意志論者の私はいつもいつも反駁されるのを待っ
ています。


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