心と意識


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投稿者 ドライもん 日時 2005 年 7 月 25 日 23:59:59:

人間は物質世界を認識するために感覚器官を利用しています。
感覚器官とは(視覚・聴覚・臭覚・味覚)のどれかです。

もしこれらがないとすれば、目の前に広がる風景を見たり、
他人の意見を聞いたり、草花の香りに気づいたり、果物を
味わったりできません。

物質的世界を認識するためにはこれら4つの感覚器官が必要
です。
そして認識自体は意識を通じて行われます。

私たちは、日常さまざまな活動を行っていますが、その活動
全てに意識が関係しています。

意識がなければ何かを感じたり、考えたり、見たり、聞いたり
することはできません。
当然、、怒ったり笑ったりすることもなく、歩くことも、
しゃべることもありません。

何かを実際に生み出すためには、感じたり考えたりする必要が
ありますが、夢想しているだけでは何も生まれません。

内部で感じた意識的なものを、物質世界で形あるものとして
表現するとき、感覚器官が必要になるときがあります。
たとえば、家を建てるときには少なくとも視覚は必要でしょう。

感覚器官とは意識と物質的な物事をつなぐ架け橋のようなもの
と言えます。


ここで、一人の友人を考えてみます。
時間を共にすることが多いので、顔や身体的特徴などを鮮明に
記憶していて、道で出会えばすぐに彼だとわかります。

よく話をするので彼の性格は知っていますし、考え方なども
理解しているつもりです。

ふつうは、肉眼で彼の表情などを観察して、耳で彼の話を聞き
ます。
そしてこれらの情報を総合して
「彼のことはよく知っているよ!」
と言います。

もちろん友人だけではなく、家族その他多くの人に出会います。
テレビや新聞、書籍などを通じて出会うこともあります。

写真でその人の容姿を見たり、話を聞いたり、文章を読んだり
しながら身の回りにいる人や、人間以外の生き物、さまざまな
出来事に対して自分なりの考えや意見を作り上げていきます。


友人について理解を深めたのと同様に、今度は自分自身につい
て考えてみます。
観察を始めると最初に、自分自身の存在に気づきます。
ただ少し違いがあります。それは自分の存在に気づくために
は容姿などの外見は関係ないということです。
鏡に映った自分の姿を見る必要はなく、自分の姿が写った写真
を見る必要もありません。
友人を識別するためには、相手の姿を見る必要がありましたが。

さらに、自分の考えを知るために、音声としての言葉は必要
ありません。
活字としての文章も必要ありません。

人間には感覚器官で知ることのできる外見的な部分と、
感覚器官で知ることのできない内面的な部分が存在している
と言えるでしょう。
普通、外見的な部分を肉体、内面的な部分を意識とよんでい
ます。

心は両者の中間に位置づけることができるでしょう。
心自体は意識的なものですが、感覚器官を通じて物質世界を
認識します。

もし心が内面的なものに気づかず、見たり聞いたりしたもの
だけから判断して勝手な考えを作り上げれば、心は不確かな
ものになります。
なぜなら肉眼は外見は映しますが、意識的な内面は映さない
からです。

自分が友人に対して持っている認識は本当に正しいのでしょう
か。

私は彼の楽天的なところと、気さくなところが気に入っていま
すが、ある人は彼に対して、いい加減な人だとか、礼儀正しく
ない人だとか言います。

私は友人として彼を信用していますが、ある人は彼を信用でき
ないと言います。

彼に対しての意見は人によってさまざまです。
その理由は各人が彼の内面に気づくことなく、外見だけを見て
勝手な判断を下しているからではないでしょうか。


ここで疑問がおこります。
どうしたら他人の内面に気づくことができるのか、
そもそも、他人の内面を知ることなど本当にできるのだろうか。

さて、

もし、目で見たものや耳で聞いたものだけを頼りにして
自分自身で勝手な意見を作り上げてしまっているとしたら、
内面的な部分に気づくのは難しいかもしれません。


「人間とは何か?、真の自分とは何か?」
ということをよく考えてみることは大切だと思います。
もしかすると、このことに関して完全な錯覚をしているかも
しれないのですから。
この辺のところは皆さんよくご存知のことと思いますが、


生命の科学の書の中に反復思念の方法が紹介されていました。
「私は意識と一体である!」
そしてこれは「宇宙の全体性」においてなされるべきであると。


そこで意識について少し考察してみます。

意識とは知覚の状態と言えるでしょう。
物質のように定量的なものとして分類することはできません。

科学的な立場に立っても、意識とは何かという問いに対して
明確に答えるのは難しいでしょう。

しかし生きている誰もがその存在を自分の内部に感じています。

「魂とは何か」という問いは、神秘的な色彩を有していますが、
それと同様に「意識とは何か」という問いにも簡単に答える
ことはできません。


生活の中で、いろいろなことを感じたり、考えたり、学んだり、
また、さまざまな発明や発見なども行われています。
たとえ個人の勝手な意見であったとしても、それは知性的なもの
であり、意識が英知を生み出す十分な能力を有していることに
疑いの余地はないでしょう。


人間が生きて生活するためには、最低限必要な活動がありま
すが、それらも意識を通じて行われています。

人間のように教育を受けない野性の動物でさえ、たいへん
賢く知性的に行動しています。


人間が意識と一体であると感じることは簡単ではないかも
しれません。

多くの人は肉体的な部分を自分自身(人間)であると感じていて、
意識的な部分については軽視しがちであるからです。

そしてその誤解の中で、心が勝手な意見を作り上げてしまう
のです。




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