現象の世界と宇宙空間

久保田八郎

 

 この記事は、昭和59年6月24日、仙台・山形合同支部大会における久保田八郎先生によります講演「現象の世界と宇宙空間」を文章化したもので、一度先生に加筆訂正していただきました。

 

 このたびは"万物一体のフィーリングを高めよう!"を力説されて、特にミクロの世界から話を発展させ、原子は流用され分離したものは何もない、すべて自分自身だということを強く感じさせる内容になっています。(転載許可済)

 

 皆さん、こんにちは。本日は仙台支部と山形支部におかれましては、このような盛大な大会を開催されまして、心からお慶び申し上げる次第でございます。また、私をご招待いただきまして御尽力いただきました両支部代表、笠原氏と清水氏に心から御礼申し上げる次第でございます。

 

 早いものでして今回の大会は今年で第5回目になるそうですが、私が最初まいりましたのが、たったこの前のような気がいたします。毎年1年単位でものごとを計画して遂行しておりますから、1年たつのがあっという間でありまして、本当に時間の経過の早さというものを感じますね。

 

 それで、6月は大変忙しいような状態でありまして、2週間前の6月10日に群馬支部大会へまいりまして、そこで2日間過ごしました。

 

 それからちょうど1週間前の17日には沖縄支部の月例会に出席して、沖縄の方々を激励したわけです。いずれも大変熱心な集まりでありまして、本当に素晴らしい雰囲気でありました。沖縄の方々の、あの遠い所に住んでおられて熱心にアダムスキー問題や宇宙哲学を研鑽しておられることを如実に感じたわけです。

 

 ずっと以前GAPはまだ人数が多くて、全会員がざっと2千名のころがありました。今は約1千名位です。その2千名位の時の支部大会は相当人数がありまして、何処へ行っても大盛況、仙台あたりでも40名から50名位の方々が集まっておられたことがあったと思います。

 

 ですが今は何処の支部大会でも、ちょっと人数が減少してまいりまして、以前とは人数の上ではだいぶ変わったんですが、しかし雰囲気は以前の学生の部活動、あるいは趣味のサークルといったような雑然たる雰囲気はきれいに浄化されまして、本当に真剣なカルマのある方だけの集まりということになってきたように思います。

 

 まあ、こうなるべきであって、いつまでも同じ状態ではいけないですね。良い方向に進んでいるというのが、1つの私たちの理想とする所ですが、いったん集まっていた人達が、各々相反して、そうしてまたその中から反した人達の中で、またさらに目覚めた人が、またもとの状態にもどって相合してやっていくというような法則があります。

 

 これは、ヘーゲルの弁証法といいます。あまりむずかしいことじゃないんですが、分裂とそれからまた合体を限りなく繰り返していって、しだいに状態が良くなっていくという法則ですね。私たちは、その法則に従っているわけです。

 

 

 

2つのスペースプログラム

 

 スペースプログラムといいますが、これは意味が2通りありまして、宇宙の側から見たスペースプログラムとそれから地球の側から見たスペースプログラムと2通りあるんですが、意味が違います。どう違うかといいますと…(黒板に書かれる)。

 

 地球側からみますと大気圏外開発ですね。ロケットを打ち上げて大気圏外を探索していくということをアメリカやソ連でやってますね。それからもう一つは、逆に大気圏外の高等な惑星から偉大な人類が、何でも地球という所はどうしようもない所だ、かわいそうで見ちゃいられない、もっと地球自体を良くして、我々の仲間に入れてやろうじゃないかというので、地球に手を差し延べて、救済計画をしてこられるのが、やはり一つのスペースプログラムです。

 

 で、私たちはこの二つのうちの両方に関心がなくちゃいけないんです。両方とも等しいものですね。どっちかが非常にすぐれて、どっちかがダメというもんじゃないんでして、地球人が別な惑星とかなんとかへ目を向けて、その方へ進出しようという一つの意欲、それから逆に地球外の惑星から地球へやって来ようという方に対する出迎え、この両方がピッタリ合ってこそ本当のスペースプログラムが成り立つわけです。

 

 ところが、大気圏外を開発するといいましても個人じゃできないんです。自分でロケットを造って、それに乗ってちょっと金星まで行って来ようかというわけにはいきません。これは、大国政府が相当な巨額の費用を注ぎ込んで、ロケットを用いてやっているわけでして、私たちはそれを望観すると言っちゃなんですけど、まあ注目して見ているという程度でしょうね。

 

 でも、大国政府がやってくれりゃそれでいいわけです。特にアポロ計画と言いまして、もうだいぶ前の話ですが、月へ17回も打ち上げて、110メートルもあるような巨大なロケットでもって行ったわけですね。だからウィリアム・ブライアン氏によりますと、あれは全部が月へ行ったんじゃなくて、なかにはどこか遠い地球の砂漠地帯で大きなステージを作って、つまり巨大なセットを作ってですね、そのセットでいかにも月に着陸したように見せかけた演技をやったのもあるらしいということなんですが、この詳しいことは、また次の号に出ますからそれをお読みくださればと思います。

 

 

 

別な惑星から来た民族

 

 それで大気圏外から地球へやって来るスペースプログラムの活動ですね。これはアダムスキーが初めて関係したわけじゃないんで、実は3500年も大昔からあったわけです。我々の文明でだいたい3500年位前ですね。これは、どこで始まったかと言いますと、旧約聖書に出てきますけど、アブラハムという偉大な族長がメソポタミア地方におりまして、そして神の声によって一族を連れて、その当時昔カナンといわれた土地、現在のパレスチナですね、そこへ行きなさいということで、一族を連れて行ったと旧約に出ています。そのアブラハムという人が、これが実は偉大なコンタクティーであって、神の声を聞いたこと、これは要するにスペースピープルの勧めによって行ったということのようです。

 

 それ以外、ユダヤ民族の中では、驚くべき偉大な人物がたくさん出てきます。モーゼ、ヨシュア、エリア、エゼキエル、それからイエスといったような人達ですね。これらはみんなコンタクティーですね。スペースピープルとコンタクトしながら、その教えを授けたり、あるいは援助を受けたりして、その民族を指導したわけです。

 

 じゃ、何故そのユダヤ民族にそんな偉大な人が出てきたのかということになりますが、ユダヤ民族自体が非常に謎に満ちた民族でありまして、私のみるところではこれは明らかに別な惑星から来た民族であって、地球の単なる民族じゃないですね。つまり大昔、別な惑星から巨大な母船に乗せられて、地球に運ばれてきた民族であるということになるようです。

 

 で、こういう民族は他にもあります。昔はゲルマン民族と言ってまして、現在はドイツ人ですね。このゲルマン民族は何処から来たかと言いますと、これは火星から来た民族と言われています。したがって、ドイツ人は非常に科学的な能力を持っているわけです。実際ドイツ人の頭脳というのは日本人が逆立ちしても足元にも寄れないほどすごいものがあるんですが、その中で原子物理学の大家でシュレーディンガーという人の原子物理学の「生命とは何か」という非常に有名な本がありますから、このことはあとからお話ししましょう。

 

 

 

なぜユダヤ人はイエスを異端者としたのか

 

 そのようにしまして、スペースプログラムはどんどん続いてきたのですが、やがてイエスという偉大な人が出てきます。これもユダヤ人ですね。そうしてイエスは、明らかにコンタクトしながら人々に宇宙の法則を伝えたわけですが、残念ながら当時のユダヤ人は彼を理解することが出来ずに異端者扱いして、結局は同胞の手によって十字架にかけられます。

 

 何故、それならばユダヤ人が彼を異端者扱いしたかといいますと、それは結局ユダヤ教−はっきり宗教とは言えないようですが−というようなものが古代からずっとユダヤ人の間にありました。これはユダヤ教というよりユダヤ道という方がむしろ正しいようですね。

 

 神道という場合の"道"ですね。あるいは茶道とか華道とかいう場合の"道"です。宗教じゃなくて、ある一つの精神的なものを中心とした、ある動きこれを"道"といいますね。そういうユダヤ道というものの中にユダヤ人が現代までも信じている中心的な思想。ご存知ですか? 世界中の民族が逆立ちしてもかなわないような素晴らしい思想…。一神教です。

 

 この一神教、つまり神は一つしかない。この宇宙を創造した神は一つしかないという考え方ですね。これは私たち日本人にとっては、驚くべきことでありまして、日本人ばかりでなく世界中の民族が束になってかかってもかなわないほどの素晴らしい思想です。

 

 何故かと言いますとね。未だに日本でもロケットが月まで行ったという時代に、やはり多神教が行われています。田の神様、山の神様、川の神様、なんだかんだありまして、各々のお祭りをやったりします。これは土俗的な宗教ですが、科学的な国だと言われる日本でさえも、そんな宗教がまだうんと地方に残っている時代ですから、まして何千年も昔に一神教だけを、宇宙は一つの創造主しかいないんだということを信じていた民族がいたというのは大変なことです。ユダヤ人がいかにすぐれた民族であるかということがこれでわかりますね。

 

 この一神教というのを信じてきたユダヤ人には、要するに元は別な惑星から地球へやって来たときのその思想がそのまま伝わったと考えられるわけです。そうしてイエスは結局、教えがかなりゆがめられて、キリスト教という宗教にされてしまいます。

 

 あれは本当は、宗教として伝えようとしたんじゃなくて、宇宙の法則を伝えようとしたわけです。そうして神は万物の中に内在しているんだということをイエスが言うもんですから、そのためにユダヤ人からは反目されて、のけもの扱いにされるわけです。

 

 それで十字架に架けられるわけですが、イエスのころユダヤ人はもう一神教の何たるかはほとんど理解していなかった、そうして非常にその律法が、ややこしい儀式的な宗教になってしまったわけです。で、イエスはそれじゃダメだというので警告を促したところ、逆にやられたというわけです。

 

 

 

イエスの教えは宇宙の法則

 

 ですが、イエスがこの世を去っていって、あとさらにスペースプログラムは続いていなかったかと言いますと、実は続いていたんでありまして、中世から現代に至るまで、それとなくあっちこっちでコンタクティーが出てはやって来たはずですが、残念ながら中世の暗黒時代、キリスト教というものが非常に民衆を束縛してしまうような時代がありまして、十字軍の戦争などがありますね。そうして非常にみにくい殺し合いがある。

 

 この宗教による殺し合いは現代も続いてますね。早い話が、今のレバノンにおけるキリスト教マロン派とイスラム教との争い、あるいは北アイルランドにおけるカトリックとプロテスタントの争い、それからイランとイラクと戦い、これはもう同じイスラム教徒でありながら、シーア派とスンニ派との争いですからね。それからインドではもっとエスカレートして、イスラム教とヒンズー教とシーク教の三つがどもえとなって争っているというようなことが、この頃新聞で報じられています。

 

 こう見ますと、宗教というのは人間を救うんじゃなくて、争うために出来てしまったという感じがしますね。殺し合いをやるために宗教が出来てしまったというような感じです。

 

 ですが、イエスの説いた教えはけっして宗教の教義にしようとしたわけじゃないんで、あくまでもあれは宇宙の法則であったということなんですが、それを今度現代において、現代風に解釈し、説明したのがアダムスキーの宇宙的な一連の哲学です。

 

 

 

万物一体感が根本的に必要

 

 ところで、いろんな人の有名な人の言葉を引用したり、やあ科学者の誰がこんなことを言っているというふうな引用によって、私はGAP活動における自分の講演とか話とかを権威づけようという気持ちはさらにありません。私が推進しているのは、あくまでアダムスキー哲学であり、彼の体験なのであって、これ以外にないですね。

 

 ですがね、彼の説いた哲学の中でも特に重要なのは原子物理学と結びつけなくてはいけないというような面がちょいちょい出てきます。アダムスキーも言っています「一個一個の原子の中に生気がある」と。この生気のことをスパークと言います。火花という意味もありますが、生気という意味もあります。魂と見てもいいでしょう。これが一個一個原子の中に存在しているんだということなんです。

 

 そこで私たちは、原子でものが出来ているということをまず非常に強く認識して、自覚して、そうして原子の世界、これはまあ極微の世界ですね。この極微の世界をミクロの世界ともいいますが、それを強烈にハッキリ認識しなくてはいけないということになるということがこの頃わかってきたんです。

 

 今頃になってわかったと言ったんじゃなんだと思われるかもしれませんが、私自身は神みたいなもんじゃないですからね。私も少しずつ気付いたりして進歩して行っているというわけなんですが、ごく端的に言いますと、万物一体感というものが根本的に必要です。この感覚がなかったならば何をやってもダメなんです。万物一体感! これはもう徹底的に重要ですから、このフィーリングを限りなく高めるということがまず重要です。

 

 

 

ミクロの世界に着目

 

 テレパシーの開発にあたってもそうなんです。あるいは自分の運命を切り開こうといいますが、これは最近の仙台支部報にも私が「テレパシーと原子」と題するいたって簡単な中途半端な記事を書きましたが、これをもう少し詳しく説明しますと、万物一体感と言いましても、何故我々は万物一体であるのか、みんなが違うじゃないか、バラバラの個々の肉体を持ち個々の物体があるだけで、何でこれが一体かということで普通の人ならば到底そんなフィーリングが起こるわけはないと思うわけです。ところがそのフィーリングを起こす方法があるんです。

 

 それは、ミクロの世界です。これに着目するんです。皆さん方は万物のすべて原子から出来ているということをご存じでしょう。これは小学生でも知っています

 

 例えば水の分子、これは記号で表しますと、こういうふうになっておりまして、H2Oと書いてあります。これは何という意味かといいますと、水素原子2個が酸素原子1個にくっついていて水の1分子が出来るということです。分子というのは、ご承知のように物質の特徴を表す最小の単位です。これは数個の原子がゴツゴツと集まって出来ているわけです。水の分子の場合を見ますと、こういうふうに前側に酸素原子がありまして後ろに水素原子がぴたっとくっついています。

 

 この角度は180°あるそうですが、とにかく、この全体をこれだけのものが水の一分子となって、サーッと無数に並んでいて、そうして、やがて我々の手にすくい上げられるような水というものになっているわけです。驚くべきことですね。

 

 それでこの水の分子に仮に印を付けることが出来るとします。本当は出来やしませんが、なんとなれば、原子なんてものは一オングストロームかせいぜい二オングストロームくらいの大きさですから、到底印なんか付けることは出来ませんが、仮につけるとします。

 

 そうして、いっぱいのコップに水をくんで、そうして、その中に含まれる原子がどれくらいの数になるか、ちょっと検討つきませんが、まあ、ものすごいもんです。それを海に落とし込んで世界中の海の水と混ざるように落とします。それもまた出来ないことですが、仮に巨大な棒でもって世界中の海をかき混ぜてやるわけです。

 

 そうして、コップ一杯の水を各分子に印を付け、その水を世界中の海にばらまいて、そうして今度、どこかの海例えば、東シナ海あたりの海でもいいでしょう。そのあたりで、またコップに海水を一杯汲み上げるとします。そうするとはじめに印を付けた分子がだいたい100個位含まれているということになるそうですね。

 

 だから、ものすごい数の分子というものが、コップ一杯の水に含まれている。ましてや、その中にある原子の数といったら、これは気が遠くなるほどの天文学的数字になるわけです。

 

 しかしその原子、分子たるや実に見事に配列して、これはデタラメに並んでいるということはありえない。この水の場合でも各酸素原子、水素原子が2個ずつぴたーっとくっついています。

 

 これは他の原子、例えばアルゴンの原子は、一原子、一分子と簡単なものですが、このあたりへ来て、水素原子を押しのけて、アルゴンガスの原子が来るかというと、こういうことは絶対にない。永久の昔から永久の未来に至るまで絶対にないんです。1オングストロームのこの微細な原子が、他の原子を押しのけてここへ来て、そういう水というものを作るということは絶対にありえない。永久の未来に至るまでありえないでしょうね。これは・・・・。

 

 

 

秩序、宇宙の英知

 

 つまりミクロの世界には善も悪もないんです。結局、あるのは原子同士がくっついて分子になるということは何かの秩序に従っているわけです。秩序・・・。

 

 このことをシュレディンガーがハッキリと言っているんです。「生命とは何か」という本の中に・・・。古い本ですがね。

 

 これはかなり名著なんだそうでしておよそ物理学を勉強する学徒でこの本を読まない人はもぐりだと、こういうふうにいわれているほどの書物らしいですね。

 

 皆さん方はお読みになりましたか? お読みになった方はちょっと手を挙げてくれませんか・・・。あっ、一人だけね。さすが遠藤くんが理科系出身、勉強してますね。

 

 で、この本の中にいま私がざっとお話ししたことが書いてあるんですが、こういうことが書いてありますね「生命体が秩序の流れを自分自身に集中させることによって、崩壊して原始的な根本状態に身体なんかがバラバラになって行くのを免れるという生命体に備わった驚くべき天賦の能力、すなわち適当な環境の中から秩序を吸い込むという天分は、非周期性個体と呼ぶべき染色分子の存在と切り離さない結びつきがあるように思われます」

 

 ここで秩序を吸い込むという非常に素晴らしいことが書いてありますが、シュレディンガーのいう秩序というのは、これは明らかに"宇宙の英知"ということを現しています。これはやはり物理学者ですから、宇宙の英知だとか創造主の英知なんてことを言えば、宗教的だと見なされて、立場が悪くなるでしょうから、そういうふうなことを言わないであくまでも秩序ということを言ったんだろうと思います。

 

 まあ、とにかくノーベル賞受賞に輝く、あの大天才シュレディンガーまでが、こういうふうに言っているんですからね。だから万物を形成する原子から、──原子はもっと細かく分割して素粒子とか何とかあるんでしょうが、一応原子というものが最小単位といって差し支えありません──万物が出来上がっていて、そこには計り知れない英知というものが存在しているということは、偉大な学者が考えていたことであるということがわかります。

 

 これが「生命とは何か」という本です。この間から読んでいますけどもね。岩波新書で出ています。430円、安いもんですね。たった430円で素晴らしいこういう知識が与えられるわけです。

 

 いまは、これに書いてあることは古いと言う理論物理学者がいるかもしれませんが、しかし、この中でシュレーディンガーが哲学のことに触れて、例えば一本の樹木が窓の外にある仙台は杜の都でたくさんあるが、仮に一本あるとします。それを内部から何人かの人が見るとしますね。見て、Aという人に見える樹木の姿とBという人見える樹木の姿は必ずしも同じではないかもしれない、人間の視覚というものはいい加減なものでありまして、本当の実態を認識していないかもしれないというふうなことをカントが言った。しかし、これは大変に行き過ぎた、まあ早く言えば乱暴な考え方であって、そういうことは物理学上ありえないということです。何故かというと、人間個々の体の中に備わっている意識というものは、これはアダムスキーの言う意識とはちょっと違うと思いますが、この意識というものはすべて同一のものであって、それが各々細胞分裂みたいに分裂して各人間に備わっているのであるから、人間が認識することはすべて同じだということになるはずだというんですね。シュレーディンガーに言わせると全くアダムスキーと同じことを言っていますね。

 

 つまり宇宙の意識というものが一つなんだ、それが人間それから万物にすべて各々少しずつ含まれていて、全体が調和しているんだという意味のことを言ってるわけです。

 

 ちょっと難しい話になるようですが、これは大変に重要なところです。なぜならばアダムスキーの言う宇宙哲学の意識というようなものは、あれはアダムスキーだけが言っているわけで、そんなことを物理学者が認めやしないんだということを言う人がちょいとあるようですが、そういうときには、この本を見りゃいいんです。ノーベル賞受賞の大物理学者がちゃんとアダムスキーと同じことを言っているわけです。物理学者の立場から言っているわけですね。そうしてカントの言っていることは間違いであるとハッキリとか書いているわけです。

 

 

 

原子は流用されている

 

 ですからね、アダムスキーの哲学というのは彼独自のものじゃなくて、宇宙の普遍的な法則を彼独自の言葉で解説したものだと言えるでしょうね。これである程度、アダムスキーの哲学というものがスッキリしてきたでしょう。

 

 そこで私たちがもう一歩進めなくてはならないことがあります。原子でできていると言いましたが、これは実は大変なことです。一個の原子といえども、中にはかなり不規則な運動を熱運動などによって不規則にフラフラした運動をするのもあるそうですが、しかし全体が集結すると非常に見事な調和した運動をするわけです。原子というのは…・。

 

 それは確率的にいろいろな法則が決まって来るんだそうですが、とにかくさっきの水の分子と同じように、原子が勝手な行動をするようなことはあり得ない、何かの秩序または英知にしたがって整然と活動しているということがわかれば、結局その原子というものは英知によって生かされているということがわかるのですが、問題は、原子がいろんなものに流用されて、使われているということです。

 

 早い話、我々は酸素を吸います。空気中に酸素はだいたい20パーセント位あるそうですが、それを吸い込んでいます。そうしてそれをはき出す。二酸化炭素となって出てきますが、それを今度は樹木の葉が吸い込んで、今度は逆に酸素を放出する。それをまた人間が吸うというこの循環が行われているわけです。

 

 そういうことを考えますと、結局ある種の原子がいろんなものに流用されて使われているということは言えるでしょう。

 

 それはそうでしょう。生まれて間もない赤ん坊の食物は何かと言いますと、これはお粥などを食べさせるわけにはいかないですね。非常にうまくできていまして、母親のオッパイから赤ん坊用のジュースが出てきます。いわゆる母乳ですね。これを飲ませるわけです。

 

 そうすると、初めは母親の体内で出来ていた一つの飲み物が、それは原子で出来ています。そうしてそれが今度は赤ん坊の体内に吸収されることによって赤ん坊の体になっていくわけです。結局、初めは母親の体の中でいわば母親の体を形成するために使われた原子が今度はこどもの体に流れ込んで、こどもの体にそれが流用されるということがハッキリ言えるわけです。こういうことは誰もわかっているようで案外気がつかないですね。

 

 

 

万物に全く分離したものはない

 

 早い話が、私たちは空気を吸っているわけで、ここにあるのは特製の空気、ここにあるのはまあ中位、こっちにあるのはあんまり質の良くない空気というふうに分けてあって、お金を出せば上等な空気を吸わせてもらえる。貧乏は悪い空気しか吸わせてもらえなということはないんです。絶対に・・・・。どんな大金持ちだろうが貧乏人だろうが全くみんな同じ種類の空気を吸うことが出来ます。

 

 だから万物は一体です。人間に分離はないですね。このフィーリングですね。万物において全く分離したものはないというフィーリングを極端に高めるんです。極端に・・・。もう自分の日常生活でいろいろな必要なことがありますがね、そのどんな必要なことも一旦は押しのけといて、とにかく、その万物一体感を極端に押し進めるということを一辺やってみると良いんです。素晴らしいことになりますよ。能力が発言してくるでしょうし、自分の運命がすごく良い方向に展開してきます。これは絶対です!

 

 

 

目に付くあらゆるものを慈しみ大切にする

 

 そこで次に私たちが着目しなくっちゃならないのは、万物は一体であって分離したものはないから、自分自身が大切であるのと同じように、万物を大切にしなくてはならないというフィーリングを起こすんです。

 

 自分の体は大切ですね。誰しもこれ以上大切なものはないんです。まあ、あんまり大切にしないで暴飲暴食によって体を壊す人も時にはあるようですが、まあ、何といったってやっぱり自分の体は一番大切です。それと同じように、目に付くあらゆるものを自分自身の体だと思って大切にしなくてはいけないということなんです。

 

 なんとなれば、万物は同じような原子で出来ているわけですね。そして、それを慈しむのです。無生物に於いてもそうですよ。生物はもちろんですが。例えば、庭に小さな虫がはい回っていますね。何だ虫けらかと普通誰でも思いますよね。しかし、一匹の虫を見ても自分自身であるというふうにそれを慈しむのです。それから庭にバケツが転がっています。汚いバケツですそれは。ブリキで作ってあるかもしれない。穴があいているかもしれない。しかしそのブリキといえども自分の体と同じようにそれを慈しむのです。そのバケツをけっ飛ばすなどもってのほかです。自分の体をけっ飛ばすと同じことになります。

 

 それから目に付くあらゆるもの、樹木、空気、太陽、すべてそうですね。これがもういよいよの根本になるんだということだそうですが、声を大にしていいます。これが根本の根本的な法則になるそうですから、これを一つうんと頭に入れて、このフィーリングを高めるといいですね。

 

 これは私が最近到達した一つの悟りというようなもんじゃないんです。率直に言いますと、これはある方面から聞いたんです。このことを全GAP会員に伝えて万物を自分の体のように慈しむようなフィーリングを持ったようなそういう人々を出来るだけ増やせということなんです

 

 これが、今のGAP活動の最大の目標です。UFO観測に行くのもいいですよ。あるいはテレパシーの練習をするのもいいですが、それらの基礎になるものとしてこれです。

 

あらゆるものが自分自身

 

 あらゆるものがそうですよ。例えばここにあるガラスのコップがありますね。これも水が入っていますね(水を飲む)。水はまあ、分子間の距離が遠いですから、かなり揺れますが、ここのコップは固いですね。このコップの分子が何で出来てるか知りませんが、恐らく強力に結合している何かの分子が存在するのでしょう。ちょっと…・(水を飲む)…・おいしいですね。(一同笑)実においしいです。

 

 実際私はコップの水をついで飲みましたが、本当はこのコップは私自身であり、もう一人の私自身が私に水を飲ませてくれたというフィーリングです。そういうフィーリングを持ちながら飲むんですね。この青いコップは値段はどれくらいか知りませんが、まあ100円であるかもしれませんが、これがすなわちもう一人の私自身であるというフィーリングを起こすんです。だからこのコップを限りなく慈しんでやらなくちゃいけない。これを夜、胸に抱きしめて寝るという(一同笑)何かちょっと変ですが。(一同笑)

 

 そこでこのことは、人類にある程度気づかれていました。これをすなわち"愛"という言葉で表しています。"愛"とか"慈悲"とか、特にキリスト教では愛という言葉を使います。

 

  これは要するに万物一体だから、そのフィーリングを高めようということを現しているに過ぎないんですが、しかしこの愛という言葉はあまりに宗教的な一種の宗教用語になった観がありますので私は少なくともこの言葉は極力避けるようにしてしています。

 

 我々は宗教団体と間違われるといけませんから、だからお互いに愛し合おうじゃないかというのは言いません。もちろんよい意味でいえば悪いことじゃないんですが、やたら愛し合おうと言ったって、これは異性同士ならまだしも、男性同士で愛し合うなんてホモと間違えられますからね。こういうことはあまり言えないんです。

 

 そこでこの言葉は避けるようにして万物一体、そうしてありとあらゆるものを自分自身であるかのごとく慈しむということになります。慈しむというと何か女性的な感じがしますが、他に言いようがないですね。日本語としては…。

 

 どうですか、多少おわかりになりましたでしょうか? この極端に高めた万物一体感というものを基礎にして、その上でテレパシーの練習をやるとか、あるいは何か望ましい物事のイメージを描くとかいうふうにやれば百発百中実現するということになるはずです。

 

 普通、テレパシーの練習をやる場合ですね。私から誰かに送信するんだということで、分離した感覚がどうしても起こりますね。例えばそこから東京の誰かにテレパシー送信しようと思っても、東京までは遠いからなあというふにすぐに考えますが、そういうフィーリングを起こしちゃいけないんで、東京で受信する相手は、すなわち自分自身だ、分離していないんだというフィーリングを起こすんです。私自身だというフィーリングでもって、自分でもう一人の自分に話しかけるというよなそういうフィーリングです。

 

 あるいは受信するときもそうです。どこかからテレパシーが送られてくる場合、受信しようとする場合は離れている別な自分が受信するんじゃなくて、相手、もう一人の相手である自分自身というよな感覚ですね。なかなか口で言うのは容易ですが、実際にそういうフィーリングを起こすことはむずかしいです。

 

 この間沖縄へ行きまして、あの強烈な太陽とそれから信じられないほど澄みきった海、東シナ海、それから青い空、そういうようなものを見まして、それからその他珍しいものがあるんですが、とにかく目を奪われないように自分の目という感覚器官が惑わされないように、すべてこの沖縄で目にするものは自分自身だというような、自分自身がここに存在しているんだというようなフィーリングを起こすように歩いたつもりですが、なかなか難しかったですね。大変難しいです。

 

 あるいはこの仙台にやってまいりまして、今日は大変天気が良くてよろしかったと思いますがね、何か私が行くところ必ず晴れるんですが、それは雨の時よりはいいですね。そしてこの仙台市内、杜の都と言われるこの町の樹木の多いところを見ますと東京とは違いますからね。こっちの方がよほど新鮮な感じがするようですが、そういうところを見て、まず私の視覚、目というものが必ずそれでもってフラフラーッとこうなるんです。フラフラーッと…。

 

 だが、目に見える限りの緑の樹木すべては私自身なんです。私があそこに立ってらあとというよなそういうフィーリングを起こそうと思いながらこっちまで来たつもりでしたが、なかなか難しいです。

 

 

 

転生してどこへ行くか

 

 ですが、難しくてもそれを歯を食いしばって、自分でそのフィーリングを高めるようにやらなくちゃいけないわけでして、そのフィーリングをどこまで高めるか、あるいは全然そういうフィーリングを起こさないかで、それで勝負は決まります。もちろん人間はそんなことを全然考えなくても、まあ働いてお金をもうけて、飲んで食って、毎日寝て過ごせば七、八十年は生きられますよ。それは何故かと言いますと、内部の英知がそのように生かしているからです。だから一応生きられますが、しかしこの世を去ってから今度はどこへ転生することになるかというと、これは至ってつまらないところへ転生するでしょうね。

 

 そういう万物一体感というような宇宙的な自覚を起こさないでこの世を去っていくと、また同じような環境に生まれてくるでしょう。そうしてもう一遍また同じ学習をやるようになるでしょうね。

 

 転生してどこへ行くかということを、もう今のうちから若いうちから考えて、そのために目標を立てていくということが大切だと思います。転生して今度は金星に行くか土星に行くかどこへ行くかということです。あるいは再び地球で生まれ変わって南洋の土人の一人として生まれ変わるか、まあそれも決して悪いことではないでしょう。土人と言っちゃ悪いですけどね。

 

 

 

信念、イメージ、祝福

 

 それでこのGAP活動ですが、もうすでに23年間になります。今年で24年目になりますね。初めに言いましたように人も変わりましたし、内部事情もかなり変わってきたですね。

 

 少なくとも私は、去年の今頃の私とは違います。まるっきり違うでしょうね。皆さん方も変わっているはずです。悪い方には変わっていない、良い方に変わってると思います。そういうふうに絶えず変化しなくちゃいけない。変化を! いつも同じ状態であるということは水が動かないで同じところに溜まってると腐ってきますね。あれと同じで人間も腐るんです。

 

 だから変化しなくちゃいけない、それも良い方に変化するということですね。だからGAP活動も良い方に変化こそすれ悪い方に変化はしていないと思います。まあ、これは皆さん方のおかげでありまして、私一人の力じゃないんです。

 

 そうして結局重要なのは、その万物一体感を基本にしまして、どういうことになるかといいますと(黒板に書いて)こういうふうなことになりますね。万物一体感というもの基礎にして、それから自分が何かを成し遂げようという信念を起こす。その信念を達成させるためにイメージを描く。このイメージの能力は地球人は非常に貧弱で乏しいんだそうですね。それからもう一つは、万物は自分自身ですから、自分で自分を祝福するのと同じように万物を祝福するということです。祝福することですね。

 

 さっき言いましたが、万物を愛するという言葉で言い換えてもいいんですが、愛というのはとかく今は悪い意味で使われていますから、そうじゃなくて祝福です。祝福。徹底的に祝福するんです。どんな生物、無生物であろうとですね。今言いましたコップがあります。あるいはここに置いてある机、これも必要なものをちゃんとここに乗せる役割を果たしていますから、この机を祝福し、これを慈しむ。夜はこの机を抱いて寝るというくらいに慈しむ。もうまあそこまではやらないにしてもですね、机を抱いて寝たってしょうがないですから(一同笑)。そこまでしないでも、これをとにかく大事にしてピカピカに磨いたり、これを大切に大切にするというようなそういうフィーリングです。そのほかに目に付くものは何でもそうなんです。なんでも…。そういうふうにやりなさいということを皆さん方にお伝えしたいと思います。そういう人が地球人で増えることをスペース・ピープルは望んでいらっしゃるのです。

 

 

 

区別、差別をしない

 

 ですからね、今まであの人はこういう宇宙活動やGAP活動を熱心にやるカルマのある人だ、いやこの人はカルマのない人だ、関心がないとか言って我々はとかく区別をつけがちでしたが、今度は一切そういう区別をつけないで、熱心な人は熱心な人間同士で結束して、この集団活動をやればいいんですが、町を歩いている関係のない人でも全く差別なしに自分であるかのごとく一体感を起こして、それを祝福する。というふうにやらないとどうも具合が悪いようですね。GAP会員であろうがあるまいが、差別をしないんです。差別を…。

 

 ですから、スペース・ピープルも地球人を援助するのに別に差別はしない、GAPだから援助してやろう、そうでないから援助してやらないというそんなもんじゃないと思いますよ。他の道徳団体だって宇宙的な線に沿った非常に次元の高いことをやっているグループがあれば、やはりそれを援助されるでしょうね。だからそういう道徳団体の人で円盤を見たとか母船を見たとか、あるいは異星人らしい方に出会ったとかいう人がありますからね。

 

 例えば、神戸の巽直道先生が主宰される「直道会」というグループがありますが、あのグループの人たちもよく円盤なんか見るそうですね。あの直道会では、巽先生の提唱によって、「宇宙からの訪問者」を毎月のテキストにして研究会をやっているんですからね。毎月第一土曜日です。それくらいに宇宙的な方向に進もうとしておられるわけです。そういうグループに対して当然やはり上空からの注目、または援助があるでしょう。したがってそのグループの人たちは、やはり円盤を見るということが起こってくるんだろうと思います。差別しないんです。スペース・ピープルは…。それを私たちも大いに一つ取り入れて見習ってやっていくべきだと思いますね。

 

 まあとかく私なんかもかつてGAP活動をやりますのに、本当に関心のある熱心な人とそうでない人がよくわかるわけです。私の目から見ればですね。それで関心のない人を見て、とかくダメだなとダメという言葉がときどき想念の中に起こってくるんですが、しかしそういう想念を起こしちゃいけないんです。まあ、そりゃ関心がなくなって去って行くのはこれは自由ですから、それはまた別なところで何か目覚める機会があるだろう。こう思えばいいわけで、あくまでも去って行く人であろうが、それを祝福するということです。あるいは反目して辞めていった人もいろいろいるわけです。それに対しても大いに祝福の想念を送る。どうぞいいことになって下さいと。

 

 ですからね、一時私に対してくってかかって辞めていって、それから後になって反省してすまなかった、もう一辺GAPに一つ入れてもらいたいがと言ってくる人があれば、私は遠慮なくああどうぞどうぞと言ってまた入れますね。一言謝って入って来さえすれば、それはもうそれですべて過去のことは帳消しになっていると思いますからいっこうにかまわないんです。一辺反目して辞めたから、もうあとは寄せ付けないというそんなことは私はしません。

 

 そういうふうに、とにかく差別をしないということですね。人種差別という非常に悪い風習が地球にあるということはこれなんか一番悪いことでしょうね。それとか、あるいはそういうカルマがあるとかないとかそういうようなことでもって差別的に人を見ないことですね。すべて自分だと。その想念に絶えず満ちている状態でいればよいわけです。 

 

 飲んだり食ったりするするのもすべて自分自身ですから、心から感謝して、例えば飯をいっぱい食べるとき、もう一人の自分が自分の体内に入って自分の体になってくれる。こういうフィーリング。お酒を飲んでいるとき、もう一人の自分自身が自分の胃袋の中入って来て楽しい思いをさせてくれる。有り難いお酒だと言って飲めばあまり酔っぱらわないでしょうね。といって私は、そういうようなことでこじつけて飲んでいるという意味じゃありませんよ。

 

 

 

自我の抑制

 

 それから地球人は自我を抑制することが誠に出来ない人種で、一時抑制してもすぐにそれがまた分解して分裂感情を起こしてしまうというようなことで、自我を抑制して、それを長続きさせることが必要だというようなことのようですね。

 

 信じられないほど地球人というのは自我の抑制が出来ない。そうして感情のまま生きているという。それから、万物一体感というのは一切だれも起こすことはないということのようです。

 

 私たちは少なくともそういう法則を知っていますから、一般人とは違って自我の抑制し、そして万物一体感を持続させるということがここで出来ると思いますよ。そうしますと素晴らしいことが展開してくるはずです。まずテレパシックな能力が出てくるでしょうね。驚くべき現象が起こって来ますよ。万物一体感を高めること…。

 

 だから何かの能力を実現させようと思えば、これはもう簡単にどんどん実現してくるというようなことになります。それから時々円盤をよく見るようになるかもしれない。あるいは、異星人らしい方にちょいちょい出会うようになるかもしれない。何かあるはずです。まあ、そういうような利益的なものを求めようとしてやってはいけないんですけどもね…。

 

 まだまだお話したいことが山のようにあるんですが、時間の都合もありますんで、一応ここらで置かせていただきまして、またあとで何か質問でも出していただければそのときにお答えしようかと思います。

 

 一応これで終わらせていただきましょう。どうもありがとうございました。