意識の声 No.48 より

1994年 7月号

 

<五〇年の付録人生に天を仰いで感謝>

 

 私はこの七月六日の誕生日で七〇歳になりました。この年齢は「古希」と言われています。これは中国盛唐時代の放浪の大詩人、杜甫の曲江詩の「人生七十古希稀なり」という一節からとったもので、七〇というのは一〇世紀時代の中国で平均寿命がもっと下回っていたからです。今で言えば、たぶん一〇〇歳ぐらいに相当するのでしょう。

 

 幼少時より病弱で何度も大病を患って、長生きをしない子だと母親から言われていた私がここまで生きられたのは全く僥倖(ぎょうこう)としか言えません。しかし世の中に偶然はありませんから、それなりのカルミックな原因はあったと思います。また、一九四五年(昭和二〇年)、太平洋戦争末期に松江連隊当時の同年兵数千名が戦死していますが、当時、ひそかに親英米派として全くやる気のなかった私は上級兵からのひどい迫害を被りましたものの、なぜかその外地遠征組に入れられないで、安全な内地残留部隊に転属させられて助かったのも不思議としか言いようはありません。したがって終戦後の五〇年の人生は、死んだ戦友達が身代わりになって私に送ってくれた貴重きわまりない宝物であり、究極には神から与えられた"付録"であると解釈して、この余分な生活を決して無駄にすまいと誓い、人のために役立つような仕事をして恩返しをしようと決意し、名利を求めずにささやかな活動を展開して今日に至った次第です。

 

 ついでながら、私の小学校の男子組同級生約四五名のうち(当時、男女共学ではありませんでした)、二割方の九〜一〇人は、あの大戦で戦死、戦病死等で亡くなっています。田舎の小さな小学校でこの数字ですから、全国的には厖大な数の若者が散華しています。また、一家の若い働き手を失った遺家族の苦痛や惨状には筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。今後は戦争という悪魔を永久に放逐して平和な世界を築きたいものです。そのためにこそ私達は精神世界の探求と自己啓発、宇宙的な思想の拡大等で努力しているのですが、容易に進展しなくても、いつかは自分が栄光を獲得する時が必ず来ますから、諦めないで頑張りましょう。

 

 

 

<東京造形大学でUFO宇宙哲学の講演>

 

 去る六月一七日には八王子市にある東京造形大学からご招待を頂いて、アダムスキー中心のUFO問題と宇宙哲学の講演を行いました。これは同大学助教授の佐藤彰先生(一般教養の保健体育担当)が熱心なGAP会員でして、先生から依頼された講演です。私は喜び勇んで参上しました。この学校にはデザイン研究所の故・桑沢洋子女史が創立されたもので、昨年、市内の宇津木町の森林地帯に移築された新しいモダンな校舎が印象的です。私は午後三時から四時半まで正規の授業として講演をしたのですが、階段教室に約二三〇名の男女学生が超満員でつめかけた光景は演壇から見上げて壮観でしたね。若い熱気がムンムン発散して、まさに生命波動の充満という感じでした。

 

 最初はUFOの意義と太陽系の各惑星の実体や真相について初歩的な説明を行い、地球上における異星人の行動等に言及し、さらに宇宙哲学を説いたのですが、私自身が熱を入れすぎたせいか一時間がアッという間に過ぎてしまい、スライドの映写に移ったときは完全に時間不足の状態でした。したがって終業のベルが鳴ったときもまだスライドの映写が終わらず、次の授業のために用意する必要のある学生さん方には迷惑をかけたようです。

 

 当初、私は学生さん方が示す反応に多大の興味がありました。まさか国会みたいに野次や怒号や揶揄の嘲笑が渦巻くとは思いませんでしたが、話を進めて行くうちに意外なことに気づきました。それは、太陽系の各惑星に偉大な文明があり、そこの住人達が乗って来る宇宙船がUFOといわれるもので、異星人達は地球上でひそかに援助活動を行っているというような"珍しい話"をするのに、テレビのタモリの番組みたいに「ヘーッ」いう驚きの声が上がらないのです。つまり、その程度の基本的な知識はすでに佐藤先生が授業で伝えておられたわけでして、学生達は皆知っていたのです。ここへ来る前に佐藤先生が「アダムスキーのことは話してある」とおっしゃったのですが、やはりこれは学生さん方の予備知識になっていたようでした。

 

 ときどきドッと笑声が起こりますが、これは私独特の語り口と、英語の発音をアメリカ風にやるものですから、可笑しさを誘発するのでしょう。とにかく嘲笑などではなかったと、GAPから同行してくれた助手の近藤祐一郎君も言っていました。総体的に男子学生は真面目に聴いていましたが、女子学生のなかにはマナーを逸脱したのが少しいた程度でして、最後は盛大な拍手が二度もわき起こったのには面食らい、感動してしまいました。結果的には大成功だったと思っています。

 

 佐藤先生は東京月例セミナーによく出席される方でして、六月のセミナーでは会員としての講演をされましたが、その席で木製の割り箸を紙の名刺でスパッと断ち切る実演を行って一同を驚かせました。これは一時期流行した超能力開発の練習法の一つでして、イメージ法の応用です。つまり割り箸を柔らかいケーキとみなし、名刺を鋭利なナイフとみなして、切れてしまったイメージを描きながら箸を横に水平にして名刺を一気に振り下ろすとスパッと切れるのです。皆さんも試してみると良いでしょう。最初はうまくゆかなくても何度も練習を続ければ必ずやれるようになります。

 

 今頃の学生は幼児化しているという声をよく聞きます。例えば戦史上、名高い硫黄島の大激戦で、少兵一個部隊約一〇〇〇名だそうで、全員玉砕しています。彼らは当時一種の大人であったわけですが、しかし時代のイデオロギーの差というものも考慮する必要があります。現在の若者は、狂気の軍閥政府による洗脳政策の犠牲になることはなく、自由の尊厳さを心得ています。また六〇年代の安保騒動のような思想的な深刻化もみられません。これは良いことです。私はそのようにプラスに解釈したいですね。

 

 

 

<愛について>

 

 佐藤先生は一見ざっくばらんな、きさくな方ですが、実は精神世界の探求をずいぶん熱心に続けてこられた方でして、最後にアダムスキーにたどりついたと述懐しておられました。したがって、先生の研究室にはその種の書籍や資料が沢山ありますが、新アダムスキー全集も一揃い書棚にありますし、オーソンの肖像画も飾ってありました。その他いろいろな格言などが壁に貼ってありますが、私が教室から引き上げて再度ここに入ったとき、一つの机の上に透明なビニールのカヴァーが敷いてあり、その下にいろいろな書類が挟んである中に、短い言葉を書きつけた紙片がありました。

 

 それは次のとおりです。「愛されるのではなく、愛してあげよう」というような単文でした。この素晴らしい文章に打たれた私は、しばらくこの事ばかり考えていました。そして先生の人柄をあらためて思い直した次第です。この言葉を少し詳しく言い直せば、「人から愛されるのを待たないで、こちらから積極的に人を愛してあげよう」ということになります。「これだ!」と思いましたね。それ以来、私の内部に大きな変化が起こったことは確かです。

 

 例えば最近私が電車に乗って、しきりに「愛」について考えていましたら、突然、強烈な宇宙的なフィーリングがわき起こったのです。それは「私の魂の中の創造主の愛は、他人の魂の中の創造主の愛とヒモによって絶対的に結ばれているのであって、そのために人間は全ての網の目のように繋がれている。分離したものは何もない。」という非常に強烈なフィーリングです。すると電車内で不思議なことが起こったのですが、省略しましょう。

 

 亡くなった会員の大岡葉子さん(横浜)が言っていましたが、彼女は昔、極端に万物一体感を起こしたら、テレパシーの能力が出てきて、東京月例会に出席すると(当時は上野文化会館)周囲にいる人達の想念が手に取るようにわかるようになったと言っていました。彼女は自宅の裏庭を這い回っている小さな虫をてのひらに乗せて涙を流しながら可愛がっていたと話していましたが、その後トラブルに巻き込まれて悩むようになってから、テレパシー能力を失ったと語っていました。今彼女は金星にいるでしょう。

 

 結局、愛という感覚こそは万物をつなぐ最重要なキーであり、自分や周囲を激変させる魔術的なパワーを持っている絶対的な要素であることは間違いありません。愛のフィーリングを心底から起こすかどうかが、昇華するか否かの別れ際でしょうね。