意識の声 No.19 より

1992年 2月号

 

 去る一月二五日から三〇日まで、私は第五次デザートセンター調査行を敢行しました。これには本部役員が同行しましたが、その顔ぶれは篠芳史、松村芳之、田中淳、加藤純一の四君です。このデザートセンターというのは一九五二年一一月二〇日にアダムスキーが金星人オーソン氏とコンタクトした有名な場所であることは皆様ご存じのとおりで、その詳細は『第二惑星からの地球訪問者』に述べてありますが、その記述を確証するために実地検証を行なってアダムスキーの体験の信憑性を打ち出す目的で、私は一九八八年(昭和六三年)一一月より毎年、個人的に少数の同行者とともにデザートセンターへ調査に行くことにしています。

 

 第一次のときはコンタクト場所が不明のまま間違えて別な場所へ行きました。そのとき丘の上の岩盤を削って不思議な曲線がつけられているのを発見、驚いたのですが、これはたぶん前夜、円盤が降下して回転しながらつけたものだろうと判断しました。

 

 第二次で、西側へ移動した際にアダムスキーのコンタクト地点を写真と照合しながら私か発見して凱歌をあげたのですけれども、アダムスキーが撮った山の馬の鞍状の部分に黒い円盤が半分姿を見せている写真に合致する場所がどうしても見つがらぬまま一応引き揚げました。

 

 第三次と四次でも馬の鞍が発見できず、謎が残っていたのですけれども、今年の第五次で、図らずもそれらしき地形と、アダムスキーが望遠鏡とともに座り込んでいる場所を突き止めることができたのです。

 

 しかも、後者の場所に五人が集まって議論している最中の午後二時四分、突如、北北西の方向に巨大な母船が出現したのを一同が見て大騒ぎになりました。このときは、まず最初に加藤君が物体を発見したのですが、私と篠、田中、ダニェルーロスの四君が双眼鏡で確認したから間違いありません。それは白色の丸くて非常に細長い胴体で、翼は全く見当たらず、胴体の中心より少し後方の部分に縦に黒いスジが入っているのが見えました。この物体は約三分間目撃できましたが、そのとき右方からジェット機が出現したために突然消滅したのです。この目撃の直前に田中君が「私達の立っている場所から見える地形がアダムスキーの撮影した馬の鞍を示す位置と間違いなければどうぞサインを見せて下さい」とテレパシーで上空に呼びかけて間もなく出現したということです。まさに欣喜雀躍という状態でしたが、これだけではなく、ロサンジェルスヘ車で引き返す途中も何度かUFOが出ています。

 

 以上のようなわけで、今回のデザートセンター行きは素晴らしい成果をあげることができて、一同驚喜したような次第です。アメリカではダニェルーロス君が私達に合流して三日間行動を共にし、非常に楽しい日々を過ごしました。

 

 今回の出来事の数々はあらゆる面でアダムスキー問題の真実性と重大な意義を如実に示しています。いまここで詳細に論ずる余裕はありませんが、とにかく私達が精魂込めて追跡調査してきた結果、確実に反応が現れたということからみても、アダムスキーの体験なるものは紛れもない事実であり、しかもそれは地球の未来を決するほどの指針を示していると言えます。いまだにアダムスキーを否定する輩が跡をたちませんが、卑小な事で想念を攬乱されることなしに、私達はアダムスキーが残した大いなる遺産を継承して宇宙への大道を驀進することに全力を傾注しようと決意を新たにした次第です。

 

 いま世界は確実に軍縮と平和の方向に向かっています。秋山氏や私の主張が決して間違っていないことは次第に実証されつつあります。ときには多少の小競り合いが国家間に発生するかもしれませんが、それは陣痛の苦しみであって長続きはしません。来世紀にはいれば輝かしい宇宙時代が訪れるでしょう。そしてアダムスキーの名が今世紀最大の偉人として大きく浮上し、世界はイエス以上にア氏を賛美渇仰するようになると思われます。私自身がこの問題に関わるようになった理由は不明ですけれども、しかしア氏と交流を続けたからこそ私は今生で生きる価値を見いだしたのであり、また多数の人々がア氏のティーチングで救われたことも間違いありません。

 

 デザートセンターの広漠たる大地に立って、私はたびたび遥かなる大空に想念を送っていました。「偉大な惑星からいらっしゃいました宇宙の兄弟の皆様方。いま久保田と五名の同志がここに来ております。なにとぞ出現されまして私達をご指導下さい」

 

 そして宇宙瞑想も行ないました。「この大砂漠のあらゆる砂一粒、ブッシュの一片の葉に至るまで、すべて私自身の現れ。私は大地、空気。そして宇宙そのもの。私とは大宇宙、大宇宙は私――――」

 

この瞑想をデザートセンターで行なうときの爽快なフィーリングはたとえようもなく、まさにコズミックマンとしての成長が実現したかのような気分に浸ることができたのでした。