ジョージ・アダムスキー

デスモンド・レスリー(訳・伊藤 構造)

 

〔訳注. 訳すにあたっては、この原文の訳と大部分同じであるように思われる「ジョージ・アダムスキーの思い出」(デスモンド・レスリー著、『GAPニューズレター』1973年9月発行、No.53)を、参考にしました〕

 

 空飛ぶ円盤の世界の中のあらゆる人々の中で、ジョージ・アダムスキーは、それの最も論議を呼ぶキャラクターとしてただ独り立っています。他の多くの人たちがコンタクトを主張してきました。そして、寛容、信じることや、面白がる軽蔑で扱われてきましたが、しかし、ジョージは悪口、賞賛、脅威の嵐を運んでくるために、自分の口を開くことだけすれば良かったのでした。

 

 ことによると、私は、誰かだけでなく彼も知るようになったのかも知れません。私は数回彼の家に滞在しました。そして、大衆にはめったに洩らされなかった彼のキャラクターの多くの面を発見したのです。話し好きでカラフルなその替え面の下に、非常に偉大な人間が潜んでいたのです。彼の性質の中にあるいくらかの気まぐれは度々これを隠すことに苦労しました。それを贈る代わりに、彼のパブリックな顔としては、真実の彼よりもはるかにもっともっと浅はかな人だったのです。

 

 彼は誰だったのでしょうか?

 

 確かに、少しありふれた人ではありません。肉体的に彼は、ポーランド人でしたが、私は、わずかにジプシーも彼に入っていたと思います。極めて強健で、ルックスが良くて、燃えるような黒い目を持っていました。精神的に彼は一個人以上でした。公開講演のジョージがいましたが――そのジョージを、私は最も好きではありませんでした。というのは、彼は、一度に非常に沢山のあらゆることを言おうと試みたからです。それから、きれいな顔をして、鋭い目を持つ、リラックスしたいたずら好きなジョージがいました。そして、プロの顔をした上品ぶる人たちにショックを与えた時には、人を高い地位から引き下ろすような大きな喜びでした。

 

 それから別のジョージです。美しく話し、賢く、親切であり、自分の仕事の重要性について深く気がついているジョージです。このジョージを通じて私は、数回“マスター”の存在をチラリと見たのです。そして、カーテンが再び下ろされて、世俗的なマスクが彼を覆い隠すとき、私はいつも残念でした。

 

 私はしばしば、なぜ彼が空飛ぶ円盤の最重要の予言者として選ばれたのだろうかと思いました。私に教えを与えるためのカルミックな理由を通じて、私は別な惑星から地球に生まれ変わってきたのだと彼は信じていました。そして私は、その考えが全く受け入れられることを見いだすのです。彼は世界の尊敬された偉大な他の人たちもまたコンタクトされて、同じミッションを与えられたが、しかし、様々な個人的理由のために断ったか失敗したのだと信じていました。彼は、選ばれた客たちがやってこられないと言い訳をしたあとに、王様の祝宴に呼ばれた「足の不自由な、びっこを引いて歩く盲人」であると自分自身を見なしていました。彼は、自分は一本の折れたアシであると感じでいましたが、しかし、ああ、進化した宇宙人たちの旋律を喜んで試みて演奏しようとした唯一のアシなのです。それゆえに、自分の力の全てを用いても、立派な英語を書いたり、話したりするための自分の能力がなくても、そして、自分本来のキャラクターであることの生来の困難さがあっても、自分が見たことのベストのメッセージを与えるために、批判や悪口にひるまないで取りかかったのです。

 

 これは、ブラザーズの方での賢明な動きであっても、私にとって最も可能性がありそうに思われるのです。偉大で尊敬される人を選ぶことは、私たちにとって受け入れることが非常に容易でしょう。あるいは、地位を下げられて、そして、キチガイと宣告されるかも知れないその個人は私たちにとって受け入れることが非常に困難でしょう。再び、ジョージ・アダムスキーの中には、わずかに実物の大きさ以上にこの惑星のあらゆる美徳と欠点がありました。それゆえ、その人は、彼の中に自分自身の一面の認めることが出るでしょう。そして、より個人的な根拠からジャッジすることができるでしょう。

 

 彼の主張の正当性を評価することは、依然として難しいです。彼の写真と初期のコンタクトは、全くの本物であって、のちの出来事によってやがて証明されるであろうことを私は個人的には満足しています。しかし、まさしくあなたが、彼はおしゃべり人として忘れようとすることを決めた時、それを実証するために何かがひょっこり出てくるのです。例えば私が1954年に初めて彼を訪問したとき、彼はバンアレン帯と、宇宙飛行士たちによって後になってみられた「宇宙ホタル」について話しました。これらのどれも、その当時決して知られていませんでした。
〔訳注. 巨大な放射能対であるバンアレン帯は、1959年アメリカの科学衛星によって探知されました。マーキュリー6号に乗ったジョン・グレン宇宙飛行士は、「宇宙ホタル」のような物を見たことを1962年2月に記者会見で発表しました。〕
私が最後に見たときに彼は、穏やかに知らせたのです。「私は、昨日ローマ教皇ヨハネスを見ました」
〔訳注.アダムスキー氏は1963年5月31日に、ローマ教皇ヨハネス23世と謁見しました〕

ところで、それが起きたときに、私はこれが本当だったという独自の確証を得ることができませんでした。ヨハネス23世は教皇自身の肖像を施している、美しい黄金のメダルを彼に与えましたが、そのメダルは、私が知っている限りでは、まだ発売されたことがありませんでした。そのメダルは最も特別な人々に対して与えられるのです。公会議の指導のためのアドバイスが書かれているブラザーズからの封印された包みを、私はヨハネ23世に与えたのだとジョージは主張しました。確かに、カトリック教会がその時以来行動してきた方向は、ブラザーズの方針にすごく沢山一致しています。

 

 それはジョージについての腹立たしいことでした。彼が大ボラを話していることをついに見つけたと、まさしくあなたが思ったときに、彼の主張を実証するために何かがひょっこりと出てきた物でした。

 

 急速に去って行く小さなリモート・コントロールのディスク〔円盤〕をわたしが見たときのパロマーでの連続した夜の二度の機会を、私は記憶しています。二度目の機会では、私たちは、ちょうど暗くなった後で、彼のパティオの上で話していたのですが、その時私は、観察されているという凄まじいフィーリングを得たのです。わたしがまさに周囲に視線を向けて、せいぜい15メートルぐらい離れたところにいたとしても金色のディスクを見た時、それは光をなびかせながら、上空へと素早く動いていったのです。ジョージは笑いました。そして、私は言いました。「良かった我々の会話は、最後の20分間クリーンだったぞ」

 

 彼の「コンタクト」にわたしを連れて行って欲しいというわたしの頼みを、彼は断りました。そして、当時それは、わたしをすごくイライラさせました。しかし、私は自分がそのような体験のために精神状態に適合していなかったことをのちに悟ったのです。そして、もしわたしが円盤に乗船するために連れて行かれたとしても、その後私が非常に成功した予言者であったかどうか私は疑問に思うのです。というのは、私のエゴは、精神の増大にすごく影響されやすいからです。本物のコンタクトをした多くの人たちは、非常に奇妙なところに行ってしまって、新しい宗教を作っています。そして、実際ブラザーズが最も望んでいないすべてのことを行っているのです。自分がその例外でもあり得たであろうかと私は疑問に思うのです。

 

 私がジョージについて好きだった一つのことは、彼が全く地に足をつけていたことです。彼が精神的なプライドから――悪口から、緊張から、他の多くのことから、苦しみをかつて受けていたのだと私は思いません。そうです。しかし、彼に従う人たちの間で増大し自分自身の非重要性の感覚がいつもあったのです。

 

 このことを告げても彼は私のことをいやに思うだろうと私は思いません。今や彼は精妙な古い肉体を脱ぎ捨ててしまったことを・・・。しかし、彼は一度、最も並外れたバースマーク〔訳注.生まれつきの体のあざ、ほくろ、など〕を、私に示したことがあります。彼のへそは人間のへそに少しも似ていませんでした。それは、巨大な太陽のディスク〔円盤〕であり、深く刻まれた放射状のすじがヘソの周りの全てに、腰からもものつけ根にかけて、約15センチも伸びていたのです。これが何を意味しているのか、私は考えがありません。――もしそれが、「“太陽”の“子”」の本当のシンボルでないのであれば・・・。

 

 彼を知ったいかなる人も、彼を非常に愛するようになりました。私たちの最初のコンタクトは非常に奇妙でした。『空飛ぶ円盤は着陸した』の私が書いた部分は、どの出版社からも発行を拒絶されていたのですが、私は一週間前に{アダムスキー氏の}最初の砂漠でのコンタクトについて一人の友人〔注釈.超心理学者のミード・レイン博士はそのコンタクトが起きることを予知していた?〕から聞いた時、私は直ちにジョージに手紙を書いて、あなたが撮影した写真を私に見せてくれるか、そして、私の本のためにあなたが撮影した写真を買うことができるかどうかを、たずねました。彼は写真の全部の注目すべきセットをそれらの写真を無料で使う許可と共に私に送ったことによって答えたのです。私はなんて並外れた人だろうと思いました。彼は全ての時間を使って、最も非常に貴重な写真を撮影しても、それらの写真に対してお金を要求しないのです。後になって彼は、私に原稿を送ってくれて、「あなたは、そのための出版社を見つけ出すことができるでしょう」と謙虚にほのめかしていたのです。この時点までには、親密なウェイヴニー・ガーヴァン〔元英国GAPリーダー〕が私の本を受け入れてくれていました。そして、私たちが、私たち自身の本にジョージのあらすじを使うのであれば、ジョージの本はチャンスがないだろうとガーヴァンは不安になりました。そして、ガーヴァンは沢山の鋭い自己分析の後で共著での発行にしたら、と提案したのです。私はジョージに手紙をすらすらと書きました。ジョージは私たちの手紙を受け取る前に、その次の日に電報を打ってきたのです。「共著での発行に同意する」。ここで本当にテレパシーが働いたのです! それゆえ、驚くほどの相互関係が発達しました。私たちが肉体として再び会った時、私たちは古い友人でした。あたかも、ある前世で私たちが非常に親しかったように・・・。彼の献身的な友人。そして、家政婦のアリス・ウェスルズもまた、驚くほどのレディーです。あなたは、いかなることも彼女に告げたり、たずねたりする必要が決してありませんでした。彼女は知っていました。彼女は、あなたの想念を捉えて、前もってそれに答えるのです。

 

 その試練の時代の間ずっと私たちの惑星を助けるために、地球でかつて生きたことのあるより十分に成長した何千、何万もの魂が、空飛ぶ円盤と転生の両方で地球に戻ってきている、とジョージは主張しました。ジョージが彼らの一人であったことは、そして、彼らがインテリと傲慢な人と知ったかぶりをする人たちを混乱させるために選ばれたことは、非常にありそうに思われるのです。推理のパワーが自分自身の精神的な経路を塞いでしまった人たちよりも、非常に質素で謙虚な誕生をした過去の予言者たちが選ばれて、精神的なメッセージのためのよりよき乗り物にさせられたのと、ちょうど同様に・・・。

 

 私たちは、ジョージがいなくて寂しく思います。彼がいなくて非常に寂しく思いますが、しかし、私は彼が去って行ったことを悲しく感じることができません。彼は、世界に対して彼の最大限度のものを与えました。そして、世界は再び全く同じ場所で決してないでしょう。彼がやって来ることは、世界がより豊かになって彼が去って行くことは世界が少し貧しくなります。しかし、私は、私たちが彼の最後を見たことをどうしても信じていません。もし彼が別な惑星で生まれ変わるのならば、可能なときに地球に帰ってきて私たちとコンタクトすることを彼は約束していました。

 

 ジョージに関して起こりうるでしょう。そして、通常は起こるのです!

 

 親愛なる年をとった宇宙人――“平和”のうちに進みたまえ!

 

*********************

 

From “Flying Saucer Review” July/August 1965
『フライイング・ソーサー・レビュー』誌の1965年7月/8月号から

 

〔訳注.ジョージ・アダムスキー氏について、竹島 正氏は『UFO教室』の第21号の「アダムスキー氏との日々<その5>」で、<アダムスキーは一度だけスタッフの一人に「自分がまだよちよち歩きの頃に、宇宙船で地球にやってきたことを思い出した」と語ったとされています>と書いていますが、小山氏はかつて、アダムスキー氏について、次のように述べたことがあります。

 

「アダムスキー氏が5〜6歳の頃、一日ほどいなくなったことがあり、森で見つかった時は、以前のアダムスキー氏とどこか違ったいるような感じがした。魂が同じでも、肉体が入れ替わったか、あるいは、少年アダムスキー氏に似た別の人物が別な惑星から肉体を持ったまま『宇宙の友人たち』に出てくるJさんのように地球にやってきたのどちらかだろう」

 

「1965年4月23日に亡くなったジョージ・アダムスキー氏の場合は生まれ変わっても赤ん坊に生まれ変わらなくて、成長した人間へアダムスキー氏の魂が移行しているだろう」

 

ジョージ・アダムスキー氏については、まだ公にされていないことがありそうです。〕

原文