Re: 共感覚、クオリア


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投稿者 Vosne 日時 2004 年 9 月 05 日 11:10:58:

回答先: 共感覚、クオリア 投稿者 Tatsuro 日時 2004 年 8 月 30 日 00:33:44:

|> このページでキーワードとしてあげられていた言葉、
|> 多様態、とかトポロジーとか、、、、
|> 憧れはしたんですが、、、
|> 数学の本もまだ本棚にいっぱいならんではいます。全然読
|> んでいません。

|> 演習問題とか大嫌いで、飛ばそうとするのですが、それを
|> やらないと理解できなかったりして、、、、、
|> 最初から回答を一生懸命理解しながら、、、
|> でも回答を省略されると手も足も出なかったり、、、

∇もしかすると、お持ちになっている数学の本の中
にあるのかも知れませんが、多様体について比較的
わかりやすい説明がありましたので、少し紹介して
みます。ただ、この説明は概要説明なので、もし
詳細について理解しようとされているのでしたら、
この紹介はあまり意味が無いのかもしれませんが。

「多様体の基礎,松本幸夫,東京大学出版会」より
・幾何学の対象は空間である。
それも,目の前に広がる現実の空間というより,
むしろ多かれ少なかれ理想化された’数学的空間’
である。
たとえば,平面や直線は典型的な幾何学の対象で
あるが,どこまでも平らに広がった平面や
どこまでもまっすぐに延びている直線が現実に
あるわけではないから,幾何学的な平面や直線は
理想化された対象と言える。
数学で言う空間と日常語の空間とは意味がずれている。
それは,次のことからもわかると思う。
日常的な言葉遣いでは,机の表面のように厚さの
ない平らな面を’空間’とよぶことはないが,
数学では,’平面は2次元の空間である’と言う。
さらに,直線は1次元の空間であると言ったり,
もっと極端に,点は0次元の空間だと言ったりする。
こうなると,日常語からのずれは一層大きくなる。
現実の空間,つまり我々の宇宙空間は,我々の知る
限りただひとつしかない。
これにひきかえ,数学的空間にはいろいろのものが
考えられる。
平面は2次元の空間であると言った。
2次元の空間にもいろいろのものがあって,
平面のように平らな2次元空間もあれば,曲面の
ように曲がった2次元空間もある。
じつは3次元でも4次元でも,もっと一般にm次元
でも,まっすぐなm次元空間や曲がったm次元空間
を考えることができる。
そのような空間がこれから学ぼうとしている多様体
である。
多様体は平面や曲面の概念を一般の次元に拡張した
ものである。
とくに,平面や曲面は2次元の多様体であり,また,
直線や円周は1次元の多様体である。

・空間の限られた範囲に描かれた座標系を
局所座標系という。

・多様体とは平面や曲面を一般次元に拡張した概念
だと述べた。
局所座標系という言葉を使ってもう少し正確に
述べると,多様体とは,どこでも好きな所に
局所座標系が描けるような空間である。

「微分・位相幾何,和達三樹,岩波書店」より
・多様体という用語をはじめて聞く人もいるで
あろう。
一方,曲線とか曲面に対しては,数学的記述は
別として,日常的にも用いられているので直感的
イメージがあると思う。
大まかに言えば,曲線は1次元多様体,曲面は
2次元多様体である。
まずは恐れる必要なない。
例として,2次元球面(ゴムボール)を考えよう。
これは明らかに,2次元ユークリッド空間とは
異なる。
ところが,2次元球面(ゴムボール)上の昆虫,
例えばアリは自分の周囲(近傍)と
2次元ユークリッド空間の小領域とを区別
できないであろう。
歩きまわっても,この状況は同じである。
昆虫を例にあげたが,地球上に住む人間として
もよい。
かなり前になるが,いぜんとして地球は平らで
あると信じている人たちの協会がイギリスにあり,
その人たちがアメリカに行って,やはり地球は
平らであると”発見”した記事を読んだことが
ある(もちろんジョークなのだが,本人たちは
真剣らしい)。
ともあれ,2次元球面(ゴムボール)は多様体
の一例である。
同様に,トーラス面(浮輪)も多様体である。
ところが,円錐は多様体ではない。頂点以外は
局所的に2次元ユークリッド空間(平面)
と同じであるが,頂点の近傍は1つの
2次元ユークリッド空間で表すことができない
からである。

∇トポロジーについては、以下の本に概要説明
があります。ただ、数学の本ではないので、
詳細は書いてありませんが、少し紹介します。

「ブラックホールと時空の歪み,白揚社,
キップ・S・ソーン」より
・新しいアイデアはしばしば、もっと奇妙な瞬間、
全然予想していない瞬間に訪れる。
私はこれは、アイデアは無意識から生まれ、
無意識は心の意識的な部分があまり活動していない
ときに、もっとも効率的に働くためであろう、
と推測している。
いい例は、スティーブン・ホーキングが1970年に
ベッドに入る準備をしているときに行った、
ブラックホールの地平はつねに増大するという
発見である。
もう一つの例は、ブラックホールの内部にある
ものに関するわれわれの理解を変えたペンローズ
の発見である。

・ペンローズの特異点定理が驚くべき力をそなえて
いるのは、彼がその証明に新しい数学的道具を用い
たことにもとづく。
それは物理学者が湾曲した時空の計算に、つまり
一般相対論の計算にかつて用いたことのなかった
道具だった。
その道具とはトポロジー(位相数学)だった。

トポロジーとは事物がたがいに、あるいは自分
自身と連結し合う仕方を定性的に論じる、数学
の一分野である。
たとえば、コーヒー・カップとドーナツは
「同じトポロジーをもつ」と言われる。
それは(もし、どちらもパテで作られていると
すれば)、滑らかに連続的に、図形を切り裂く
ことなしに、つまり連結を何ら変えることなしに
一方の形から他方の形に変形できるからである。
これとは対照的に、球とドーナツは異なる
トポロジーをもつ。
球をドーナツに変形するには、球に穴を開けて、
それ自身との連結の仕方を変えなければならない
からである。
トポロジーは連結についてだけ関心をもち、形や
大きさや湾曲には関心がない。
たとえば、ドーナツとコーヒー・カップは形と
湾曲は大いに異なるが、同じトポロジーをもって
いる。

ペンローズの特異点定理以前には、われわれ
物理学者はトポロジーを無視していた。
それは、時空湾曲が一般相対論の中心的な概念
であり、トポロジーが湾曲については何も教えて
くれないという事実に物理学者が縛られていた
ためである。
(確かに、ペンローズの定理はトポロジーに強く
依存しているので、特異点の湾曲については何も
語らない。つまりその潮汐重力の詳細については
何も語らない。この定理はたんに、ブラックホール
の内部のどこかで、時空が終わり、その終点に到達
したものは何であれ破壊される、と述べるにすぎ
ない。どのように破壊されるか、これは湾曲の領域
である。要するに破壊されること−時空には終わり
があること−、これはトポロジーの領域である。)

ペンローズ以前にも、もし物理学者が湾曲の問題
の先を眺めさえすれば、相対論がまさにトポロジー
の問題、「時空には終わりはあるのか(時空が存在
しなくなるような端はあるのか)?」や「たがいに
信号を送ることができるのは時空のどの領域か、
それができないのはどの領域か?」といった問題
を扱っていることに気づいただろう。今挙げた
トポロジー的問題の最初のものは、特異点にとって
中心的な問題である。二番目のものは、ブラック
ホールの形成と存在にとって、そして宇宙論にとっ
て(宇宙の大規模構造と進化にとって)中心的な
問題である。

こうしたトポロジー的な問題はたいへん重要で、
トポロジーという数学的道具はそれを扱ううえで
たいへん強力なので、ペンローズはわれわれに
それを紹介することで、われわれの研究に革命を
引き起こしたのだった。

|> 今月号(2004年8月号)の「食とクオリア」という記
|> 事にちょっと面白いことが書いてありました。

|> 引用します。
|> ========================↓
|> おいしさで言えば、「まったり」、「さっぱり」、「うま
|> み」、「辛さ」、「甘さ」などの要素を取りだして、それ
|> らのパラメータが張る多次元空間の中で、ある食べ物がど
|> のような位置にあるかということを解析することで、「食
|> べる」という体験を理解しようとするのである。
|> このような分析の方法は、「デカルト座標」を考案して、
|> 空間というそれまで解析的な方法では扱いようがなかった
|> 対象を分析可能にしたルネ・デカルトの業績によって切り
|> 開かれた、近代科学の定番のやり方であった。確かに、デ
|> カルト的方法は複雑な対象を理解するとっかかりにはなる。
|> しかし、前節で述べたような「何かを食べる」という感覚
|> の成り立ちを考えると、このような手法には限界があるこ
|> とも判るのである。
|>  味覚の世界とは、解析のための要素空間を(X、Y、Z
|> )という形で用意したとしても、それらの要素の組み合わ
|> せによって、全く新しい次元が生み出されてしまう世界で
|> ある。
|> ========================↑

|> メロンのおいしさを3つの要素
|> 甘さ、香り、テクスチャ
|> に分けて、これらを別々に感じてもメロンを味わったこと
|> にはならないというようなことも書いてあります。

|> 共感覚の話とちょっとにていると思いました。

|> 引用します。
|> ========================↓
|> 私たちが意識の中で感じる質感(クオリア)には、興味深
|> い性質がある。
|>  二つ以上のクオリアが同時に成立すると、その組み合わ
|> せにより、全く新しいクオリアが生み出される。1+1が
|> 2以上になるのが、意識の中の質感の世界なのである。
|> ========================↑

∇例えば、”おいしさ”の要素である「まったり」、
「さっぱり」、「うまみ」、「辛さ」、「甘さ」
などの刺激を特定の”コラム”で受けるところまで
は以下の本などに紹介されています。
ところが、これらコラムで受けた情報から、統合
されたクオリアを形成する時、脳の中で何がおき、
どのようにして人はクオリアを感じることができる
のかはわかっていません。
非常に不思議なことですね。

「わがままな脳,澤口俊之,筑摩書房」より
・昆虫類や甲殻類、頭足類などの無脊椎動物では、
一個のニューロンが相当の重みをもっていて、
ある一つのニューロンが活動しただけで逃避行動
などのまとまった行動が発現されることがある。
だから、こうした動物では一つのニューロンが
死ぬことは大事件につながりかねないが、哺乳類
ともなるとそうではない。

私たちヒトを見ても、成人で平均すると一日に
10万個以上のニューロンが大脳皮質から失われて
いることは既に述べた。大脳皮質は脳の大部分を
占める領域で、知覚や記憶、思考、判断などの
精神活動は主にこの領域でなされるので、これは
大変なことのように思えるが、しかし「大事件」
になっていない。ヒトを含めた哺乳類では、多数
のニューロンが集団をつくって、ある特定の
まとまった働きを担っているからだ。

・この問題に積極的に取り組み、そしてその解答
を出したのが実はヒューベルとその共同研究者
だったウィーゼルなのである。

1960年代から70年代にかけてのことだが、彼らは
ネコの第一次視覚野(大脳皮質で最初に視覚入力
を受ける領域)のニューロンが視覚刺激にどの
ように応答するのかを精力的に調べ、重要な発見
をした。ある特定の視覚刺激に応じる(つまり、
特定の働きに関係する)ニューロンは多数あり、
大脳皮質の表面から深部にかけて、皮質表面に
対して垂直なグループをつくっているということ
である。その機能グループの幅は0.5ミリメートル
ほどで、円柱状ないし直方体状をしている。

これこそが前項で述べた「コラム」なのである。
その高さは2〜3ミリメートル(=皮質の厚さ)で、
中には数万個のニューロンが含まれている。
そして、こうしたコラムが複数集まって、心の
単位とも言うべき領野・モジュール(=一まとまり
のコラム群)がつくられるのだ。

|> 音を聴いて何か色とか形とか光が見えること、
|> 形をみて音が聞こえること、
|> 音と形、映像がリンクしている映画のシーン、

|> 映画音楽ということをちょっと落ち着いて考えて見ますと、
|> 何でこの場面にいきなり音楽が、、、ということを考えだ
|> すと、あらゆるメロディーが無駄なものに見えてきたりし
|> ます。
|> 逆に、今まで効果音として聴いていたものが、実はすごい
|> 音楽だったということに気づいたこともあります。

|> その音楽を担当した人とか、音楽担当に指示を与えた映画
|> 監督の人とかが、何を考えたかを考えながら見るのも面白
|> いです。
|> 映画音楽、サウンドトラックとひとくくりにできない様々
|> な考え方、特徴があると思います。

|> でも、音と視覚を切り離して満足することはごく普通に行
|> われてはいます。CD等の録音媒体ですね。音楽形式のファ
|> イルもそうです。
|> たとえば、わざわざオーケストラや、ホールの形とかを思
|> い浮かべることは、意識すればできますが、むしろあまり
|> 一般的な楽しみ方ではないでしょう。
|> 逆に、何か自然の風景を思い浮かべたり、色とか形とか光
|> のようなものをみたり、、、、

|> これは一種の妥協、あるいは埋め合わせなのか、また、無
|> 意識に埋め合わされるものか、どのレベルのものかですね。

|> あるいは、ポジティブに考えると、妥協ではなく、抽出と
|> とらえることもできるかもしれません。
|> そのとき、視覚は何をみるか、部屋の壁、机、いす、カー
|> テン、窓の外、、、、
|> それとも、目をつぶって何もみないか、、、
|> 何か絵画、画像、映像をみながら聴くか、、、
|> 何かを思い浮かべながら聴くか
|> 色、形、光、、、を見ながら聴くか、、、、

|> このとき無意識の視覚の補完のようなものが働くか否かと
|> か、、、

|> 音楽が演奏の情景から完全に独立して、それが、雰囲気を
|> 盛り上げるために使われる、たとえば、喫茶店のBGMとか、
|> ダンスミュージックとか、、、
|> 映画もそうでした。

|> こう考えると、音楽と視覚とは、割と独立にいろんなマッ
|> チングができるということがいえるかも知れませんね。
|> マッチングさせようとする無意識の脳の働きがあるのかと
|> か、、、、

∇人の脳は複雑な構造を持っていて、いろいろな
感覚器官からの刺激を受ける場所や情報の処理の
流れは、ほぼ決まっているようですが、これらの
感覚、たとえば聴覚なども一つの部位で音という
刺激を受け取っているのではなく、その中にある
いくつものコラムによって、例えば、音楽を聴く
場合は、メロディ、コード、リズム、ピッチ、
ラウドネス、トーン・カラーなどに分けて刺激を
受け取っているようです。
そして、これらコラムの性質は例えば、音楽経験
があるかどうかによってなど過去の経験から影響
を受けています。
そのため、感じ方に個人差が生じるのですが、
コラムで受け取った刺激は統合され一つの音楽と
いうクオリアとして意識で感じるわけです。
ところが、意識で感じることができる範囲は狭い
ため、音楽に注意を集中していると、視覚などの
他の感覚器官で受けた刺激までは意識に登らなかっ
たりするのかもしれません。
が、無意識の領域では何らかの感じを感じている
のかもしれませんね。それが時々、意識の層に
顔を出し何らかの雰囲気を加えることがあるの
かもしれません。
また、受け取った刺激は、もし何か不足があった
としても過去の経験によって補間され、場合に
よっては実際に聞いている、あるいは見ている
ものとかなり異なったものとして認識されること
もあるのかもしれませんね。
こういう場合は錯覚と言われていますが。
また、異なった感覚器官からの刺激が、もし
別の感覚刺激を受け取る部位に係わる神経間
で、クロストークしてしまうと”共感覚”が
生じますが稀なことのようです。

|> 体全体で感じるという感じですかね。
|> 体全体の個々の細胞で感じる、、、

|> それとも、神経細胞間での情報伝達メカニズムの話ですか
|> ね。

∇部分と全体が重なり合っているという感じです。
自然界はフラクタルな構造を持っている、
と言われていますが、感覚器官も例外ではない
のかもしれませんね。



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