地球援助計画のゆくえ

最近は、なぜか物騒な事件をよく耳にします。また相変わらずバブル後の不況が続いています。今年は1999年、2000年まであと1年です。過去の歴史では、西暦1000年を迎える直前には大騒ぎがあったそうです。それを「世紀末現象」といいますが、これから迎える西暦2000年はどうでしょうか。世紀末現象はキリスト教世界を中心としたものですが、その影響は世界的なものになっています。

 

 しかし、こうした千年の区切りにあたる時代に何かが起きると思うのは、本来、妄想に属することだと思うのです。でも現実にはちょうどこの時期に、環境問題とか第三世界の人口増加問題など様々な問題が山積しています。そのうえ世の中には様々な思想をもつ人たちが居るので、この時期を利己的な目的に利用する可能性がないともいえません。

 

●歴史的コンタクト事件

 

1952年11月20日、米国カリフォルニア州デザートセンター(ロサンゼルスの東、モハーベ砂漠中にある)において、ジョージ・アダムスキー氏は、「スカウトシップ」と呼ぶ小型宇宙船からおりたった異星人と劇的なコンタクトをしました。

 

 この体験談は、空飛ぶ円盤や宇宙人とのコンタクト(接近遭遇事件)として、もっとも初期の時代に属し、またもっとも有名なものの一つです。

 

●核実験への警告とその後の世界の変化

 

このとき、この金星から来た人は、地球でいま開発している核爆弾は危険だという警告をしました。それは、今から考えると1952年秋に米国が行った「世界初の水素爆弾」の実験を意味していたのではないかということです。

 

よく知られているように、プルトニウムやウランを使用した核分裂型原子爆弾は第2次世界大戦中に開発され、広島と長崎に投下されました。このとき、広島へ投下された爆弾の破壊力はTNT火薬に換算して20キロトンであったのに対して、水素爆弾は最初のものでもその500倍の破壊力をもっていました。

 

世界最初の水素爆弾は1952年の秋、太平洋のマーシャル諸島エルゲラブ島で行われました。10メガトンの破壊力をもつこの爆発で島は蒸発し、あとにはエンパイアステートビルの高さよりも深い大穴が開きました(「核の人質たち」サイマル出版より)。いかなる都市もこの爆弾1発で壊滅するといわれます。ところが続く1953年8月にはソ連も水素爆弾の開発に成功します。以後、とどまる所を知らない米ソの核開発競争は激化し、100メガトン級の水爆を相互に何万発も配備して、人類の滅亡の危機をはらんだ「冷戦」という異常事態に発展してゆくのです。

 

この事件に先立つ1952年7月2日、ワシントン上空をUFO群が乱舞する有名な事件が発生しました。米国がおこなった水爆実験を考えるとこの事件の意味は明白です。それは単なる共時性(関連した出来事がたまたま時を同じくして発生した)ということではなく、近隣に住む異星人からの核実験に対する警告あるいは注意という目的があったと考えられるのです。

 

この1952年のコンタクト事件以後、アダムスキー氏は宇宙船に招待されそこで様々な話を聞きました。そして、彼はその話を「空飛ぶ円盤実見記」「空飛ぶ円盤同乗記」(「アダムスキー全集」中央アート出版)として出版したのです。

 

「空飛ぶ円盤同乗記」には、戦争に対する解決策は街頭の普通人にかかっており、それが世界中の大衆に波及して十分な人数で戦争反対を口にすれば、世界の指導者も聞き入れるだろう、という示唆が書かれています。

 

 「地球人は地球全体にいかに早く変化が起こり始めるかを知ったら驚くだろうと思います。(中略)。そこで地球上のあらゆる所にいる受容的な人々とともに活動するならば遅すぎることはありません。しかし友よ。これは急ぐのです。あなたの使命に“無限なる父”の祝福をこめて前進しなさい。そしてこの希望のメッセージを伝えている他の人々の声にあなたの声を合流させなさい。」(「第二惑星からの地球訪問者」(中央アート出版)P179)

 

 この後、様々な事件がありました。そして1989年のベルリンの壁の崩壊に続いて1991年のソ連崩壊。東欧諸国の民主化等です。この1991年以後、冷戦状態は消滅し、核兵器は廃絶する方向に向かっています。そしてソ連最後の大統領のミハイル・コルバチョフ氏は核軍縮に努めノーベル平和賞をもらっていますが、彼の名前が偶然にも大天使の名前である「ミカエル」なのは興味深いことです。

 

さらにヨーロッパはECという経済機構で一体化し、ますます安定要素を増しているように思われます。また、後に述べるように世界大戦は二度と起こさないだろうという大きな力が生まれています。

 

●宗教界の変革

 

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、西暦2000年にアラビア半島のシナイ山にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の指導者を集め、共に祈ろうという計画を発表しました。エルサレムに神殿をもつ3つの宗教が一同に会して宗教家としての立場から世界平和を実現してゆこうというわけです。

 

 このようなキリスト教世界の変革は、ローマ法王のヨハネス23世の時代から始まっていました。彼は1962年に「第二バチカン公会議」を開催し「世界平和」を唱え、キリスト教の各宗派をまとめるために「教会合同」を主張しました。そして彼の突然の死後、この会議はパウルス6世に引き継がれて1965年に閉会しました。この会議では上記の2点のほか「教会の現代化」についての議論が含まれていて、以後のカソリック教会の活動に大きな影響を与えています。さらに現在のカソリックでは「禁書」をなくすことになっています。これは情報の自由化とも言うべき画期的な処置でした。それまでは、キリスト教の原則に違反すると思われる書物をリストアップして発行禁止処分などにしていたのでした。そして今では教会の内部資料でも100年たったら公開する原則だといいます。

 

このようにヨハネス23世は、大変進歩的なお考えをもつ方でしたが、1963年に欧州旅行をしたアダムスキー氏が死の直前に謁見したことが知られています。彼はこのとき、あるメッセージをスペースピープル(地球に友好的な宇宙人達のこと)から託されていたといいます。そして、法王はそれを読み、たいそう喜んだことが著書に書かれています。このときアダムスキー氏は法王から黄金のメダルを授与されました。

 

 この会見で、どのようなメッセージが法王にもたらされたのか想像するしかないのですが、きっと第二回バチカン公会議の先行きの見通しと彼の健康、そして人類の未来に関しての重要な助言などが含まれていたに違いありません。

 

こうして、信者数10億人ともいわれる世界的な影響力のある宗教組織が、1965年からその活動方向を世界平和と宇宙的な方向へと転換したのです。

 

 

 

●預言された時代だという証拠

 

 

 

 15−16世紀にかけて、コロンブス達が世界の海に出かけて米国大陸を発見し、清教徒達が移民をはじめました。これは「世界中にキリスト教が述べ伝えられる」という事件の発端をなすものでありました。これ以後400年ちかくの歳月が経過していますので、ほぼ「全世界にキリスト教が述べ伝えられ」たと言っていいでしょう。

 

 新約聖書には、それから「終わり」がくるのだと書かれています。新約聖書にはまた、イエスが再臨する時代の「しるし」として「かってなく、これからもないような大艱難がある」ことが記されています。

 

 わたしはこれが第二次世界大戦であったのではないかと想定しています。さらにこの時「山に逃げよ」と書かれています。第二次世界大戦では、ナチス党がユダヤ人を大量虐殺したことが知られています。

 

とにかく「ユダヤ人除去計画」という目的のため、捕まえたら殺せという命令を受けていた部隊があったそうで、それにより600万人という多くの犠牲者がでました。聖書はユダヤ人のために書かれているので、その記述は彼らのためと考えてよいはずです。

 

この時代に山の中に逃れた人たちは大丈夫だったのではないかと想像できます。

 

 

 

●ユダヤ民族の二千年周期の完結?

 

 

 

ところで、1939年はイエスの時代からみて2000年周期が終わった年だとアダムスキー氏は述べました。これはどういうことでしょうか。1939年というと、第二次世界大戦が始まった年として教科書に掲載されています。

 

彼の記述によると、この年、太陽系にある3つの惑星が会合して天に「しるし」が現われたというのです。このときは日本とドイツ、イタリアが三国同盟を結んで他の国々と対抗していた時代でした。

 

また聖書からのなぞ解きもそれを裏付けます。

 

 

 

●時に関する仮説

 

 

 

ご存知のように、イエスキリストは西暦1年に生まれたのではないようです。(西暦0年はない。)新約聖書には、イエスはヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになったと書かれています。ところが歴史書を調べると、ヘロデ王は紀元前4年になくなったとされています。このヘロデ王は、将来「王」になるという預言を得て生まれたイエスを抹殺しようと、ベツレヘム近郊の2才以下の子どもを全員殺したのです。しかしイエスは、夢でお告げを受けたマリアにより、事前にエジプトに逃げて無事でした。

 

 この記述から、イエスは少なくとも紀元前4年より以前にお生まれになったことになります。つまり、現在の太陽暦を制定した6世紀のディオニシウス・エクシダウス修道者は若干計算を間違えていたのではないかと思われるのです。

 

また、イスラエルの死海湖畔で世界大戦後に発見された「死海写本」には「義の教師」と呼ばれるユダヤ教エッセネ派の指導者的人物が描かれていて、彼も策略により磔刑にされたといいます。エッセネ派の多くは人里離れた地域に集団で共同生活をしていました。彼らの持ち物は集団の共有であり、互いに親子兄弟のような親密な関係をもって敬虔な宗教的生活を過ごしていました。

 

 ところで、この「義の教師」は紀元前60年ころに活動していたと推定する人もいますので、彼の死から2000年後がちょうど1939年ころにあたるかもしれません。そしてある研究家によれば、新約聖書はこのエッセネ派の教理による影響が大きいという説があります。彼らは、財産を持ち寄って共有し、敬虔な信仰生活をおくっていたと伝えられています。実際に新約聖書を読んでみると、ユダヤ教の主流派であったサドカイ派やパリサイ派、律法学者などは、聖書作者の目からは非難の対象になっています。しかし、エッセネ派については何も書かれていません。このことは新約聖書を編纂したグループがエッセネ派ではなかったかという仮説ができる理由ともなります。

 

さらに、ユダヤが滅んだ西暦70年にローマに捕虜となったヨセフスも「エッセネ派」について書いていますが、その記述量は他の派より格段に多いのです。

 

ユダヤはBC(62〜)63年(当時は太陰暦を使っていたので1年のずれは誤差として考えられる)に、内紛に乗じたローマの将軍ポンペイウスによって属領とされました。ユダヤの大祭司ヒュルカノスは弟との争いのために、ローマに援軍を頼んだのです。しかし、ポンペイウスはエルサレム神殿に立て篭もったユダヤ人を何万人も殺害し占領してしまいました。

 

この時、セレウコス朝シリアから独立を保っていたユダ王国最後の王朝のハスモン朝が滅びたのです。これは、西暦1938年からみると2000年昔となります(−63+2000+1=1938)。以後は紀元70年にローマにより国が滅ぼされ世界に離散するまでローマ帝国の属国となっていました。

 

 ヒトラーはそのことを知っていて、ユダヤの王権が滅んで2000年を経た時に、たまたま偶然か、あるいは今度もユダヤ民族を根絶やしにしようとする意図があったため、この年を選んで挙兵したのかもしれません。ヒトラーは秘学に凝っていたことが知られています。

 

 

 

ヒトラーは、彼の名前のアルファベットを101から始まる数字をアルファベットにあてはめて足し合わせると「666」という数値になります。

 

また、彼の生涯も6という数値につきまとわれます。たとえば、彼がナチス党に入党してから12(6×2)年後にナチス党首となり、それから6年後の1939年に、第2次世界大戦の引き金を引きました。またそれから6年後の1945年に追いつめられた彼は、地下の一室で愛人のエバ・ブラウンとともに自殺しています。こうして彼の人生の顕著な事件には6が3回もかかわっているのです。これは聖書の記述との不思議な一致と考えざるをえません。

 

 

 

●この時代は古代から計画されていた?

 

 

 

これとは別に、あるキリスト教徒たちに知られているイエスの再臨に関する計算があります。

 

それは「旧約聖書」から、第二次世界大戦のはじまった年の1939年を計算する方法です。ご存知の方も居ると思いますが、旧約聖書にある「ダニエル書」は預言の書として分類されています。

 

この年代算定にあたって、ダニエル書でいう「荒らす憎むべきもの」が立てられる時を、マナセ王の即位年(BC687年)とし、同書の最後に記述される数値1290と1335を足した数を年数に加えて「1939年」を算定しています。(1290+1335−687+1=1939)このマナセ王は、ダニエル書に描かれる屈辱の「バビロン虜囚」の原因となったユダヤ王として旧約聖書「列王紀下」「歴代史下」には記述されています。(「バビロン虜囚」とは、紀元前607年、バビロニアの攻撃で、ユダヤ王をはじめ家臣や一族全員がバビロンに連行され、ペルシャによりバビロニアが滅びるまで70年間捕虜として過ごした故事を言います。)

 

また、同じくダニエル書の別の根拠から第一次世界大戦のはじまった「1914年」を算出する方法があります。こちらは、ダニエル書の冒頭にある「ユダの王エホヤキムの治世の第三年」の年(BC607年)に、「7つの時」(360×7=2520年)を足して(2520−607+1=1914)算出します。

 

また、この2520年を使用して、バビロニアの最後の攻撃によるエルサレムの陥落した年、BC587年から、ヒットラーがナチス総統になった年1934年(2520−587+1=1934)が計算されます。また、別の計算方法ではイスラエル共和国が誕生した1948年が算出されます。

 

このように聖書に記述された話から二千年以上の歳月を経て、現代史における大事件の発生年が計算されるとは、偶然とはいえまったく驚くべきことと言わざるをえません。

 

 

 

●キリストは再臨した

 

 

 

 こう考えると、新訳聖書の福音書中に記述される「その時代に人の子が天の雲に乗ってくるのを見るであろう」(新約聖書:マタイによる福音書24章30節他)という記述が現代風の意味をもってきます。

 

それは言うまでもなく、1947年のケネスアーノルド事件から始まったUFO目撃事件ではないかと思われるのです。ラジオやテレビ放送が始まっていたこの時代に、彼の事件によってその存在が広く知れわたるようになったのです。つまり「空飛ぶ円盤」と呼ばれる宇宙船は、その船体を覆うフォースフィールド(力の場)が白く光り、まるで雲に包まれているように見える現象があります。その現象を「天の雲に乗ってくる」と表現していると思うのです。この時まで、他の惑星からやってきた存在が世界的に知れ渡ったことはありませんでした。

 

 聖書にはまた、イエスの再臨の時に、かつて彼とともにあった人たちが最初によみがえり、引き上げられて天の雲の中でイエスと会うと書かれています(新約聖書:テサロニケ第1・4章17節)。これはさきに述べた論理に従うといわゆる「UFOコンタクティー」と呼ばれる人たちです。彼らは、雲のような外観を呈する母船や小型宇宙船に招待されて(空中牽挙)、空中で再来したイエス達と再会を祝したのだと考えることができます。

 

 また聖書には、大艱難の後「世界中から選民達が集められる」(前述の福音書)という表現があります。これは、ひとつには1948年にイスラエル共和国が建国して、世界中からユダヤ人が集められたことを意味しています。(この年を聖書から算出方法するがある。)こうしてユダヤ人たちは国を得、世界を背後で牛耳れるほどの力をもったのです。また、この言葉に対する別の意味としては、UFOに興味を抱く人たちが増えて知識が広まり、起きている事実に目を向ける人たちが参集することも意味しているのではないかと思われるのです。さらに戦後数十年で世界人口がかつての2倍の60億人になるという事実があります。原因はともかくとして、現在多くの人たちが「よみがえりつつある」と思うのです。

 

 このように考えると素晴らしい事実が浮かんできます。それは、そうした「しるし」がイエスの再来時の徴候であり、また「終わりの日」のしるしでもあるということです。すると現在こそが、2000年前に約束された特別な時代にはいっているということなのかもしれません。

 

それでは、わたしたちは聖書に約束されているような祝福を享受出来る時代に入ったと考えてよいのでしょうか。実際には世の中に不幸や犯罪はまだ多いのです。

 

しかしゆっくりと確実に人類は進歩し、次第に平和な時代へ向かっているようにわたしは感じています。また、「この時代」(前述の福音書)として記述される聖書中の「一世代」というのは人間の寿命である120年である可能性も否定できないのです。

 

 

 

●必要なものは与えられている(ある奇跡の真相。アンデレの過ち。)

 

 

 これは新約聖書ヨハネの福音書に書かれている話です。

 

 あるときイエスは町から離れた場所についてきた五千人の群衆の前で教えておられたが、夕方になって空腹を覚えられた。それで弟子達を試そうとして訪ねられた。

 

 これだけの群衆を食べさせるにはどこから食物を買ってきたらよいだろうか、と。

 

 弟子の一人のピリポは二百デナリのパンがあっても、各々にはほんの少ししかパンは与えられないだろうと答えた。

 

 1デナリというのはローマの銀貨でした。それは当時の自由農園労働者の一日分の賃金であり、またローマ軍の一兵卒の一日分の給料であったといわれます。当時の賃金はわりと平等だったようですが、今日では職種にもよりますが一日の労働賃金は数千円から1−2万円です。そうすると、二百デナリでは、200−400万円にも相当する金額となります。これは大変な金額でしょう。

 

 弟子の一人のアンデレは近くにいた少年をみて、「この少年は5つのパンと二匹の魚を持っているが、これでは群衆にとっては何の足しにもならないだろう」と言いました。

 

 しかし見識のある人なら、少年でさえそれだけの食物をもって来ているのだから、教えを請いに来ている大人たちは、食料を持参しているものが多いのではないかと気づくはずです。

 

 五千人もいれば食料を持ってこない者もいたでしょうが、多くは弁当持参で見物に来たに違いないのです。当時は歩いてついてゆくしかないし、行き帰りにもそうとう時間がかかります。また説教にもどれだけ時間がかかるかわかりません。それで出かけに弁当を持参するはめになります。当時の弁当はパンが主体でした。

 

 イエスはきっとその弁当の総量が、五千人を満足させる量であることを見抜いたのです。彼は、少年のパンと魚を割いて人々に与えました。そして、集まった群衆達は先生の行ったとおりにまねをしました。

 

 こうして持っている者は自分のパンを裂き、持たざる者にも与えることになりました。それで、食物は皆に行き渡り、全員が満腹出来たのです。そして、余ったパンを集めると12のかごにいっぱいになりました。

 

 これは、結果からみると奇跡です。しかしものごとの道理から考えると十分にありえるのです。

 

 以上は個人で立てた仮説でありますが、この奇跡的出来事をキリスト教会ではイエスの起こした奇跡としてよく引用されます。

 

 イエスは卓越した心理学者でもあり、また透視能力者でもあったに違いありません。大衆の行動を熟知し、その真の状態を理解する者は奇跡を演し、大衆を導くことができるのです。

 

 それに対してアンデレは、必要なものは与えられているという教えを忘れ、間違った答えをしてしまったのです。

 

 これは現在の社会にもあてはまらないでしょうか。結局、大衆の食べて行けるだけの食物は世の中に存在しているのです。さらに必要なら生産すればよいだけです。また、他の必要物も然りです。しかしそれを求めて数十年前には数千万人を殺した戦争がありました。それはやはり、世界には必要な物が常に与えられている、という原理を無視した人類愛のない想念の結果であったにちがいありません。

 

 

 

●大地の産出力

 

 

 

 また、こういう話があります。

 

 先ごろ来日した中国の江沢民国家主席は、北海道で原氏と会いました。原氏は1982年から49回にわたって中国の黒竜江省を中心に訪れてボランティアを行い「畑苗栽培」の技術を広めたのでした。この結果、黒竜江省では年間40万トンだった収穫が、16.5倍にあたる660万トン/年になったというのです。大変な収穫量の増加です。同じ土地からやり方によって16倍以上の必要物が得られたのでした。

 

 これは、必要物を手に入れるには知識が必要だということでしょう。

 

 結局、私達は海の中で漂流していて水不足に悩む人間のようなものです。周りには水がたくさんありますが、塩辛くて飲み水にならないのです。しかし、蒸留装置があればそこから真水として飲み水が取り出せます。それは簡単な道具があればすむのですが、知らないと難儀をするはめに陥ります。この場合に必要なものは、洗面器か桶にコップ一つと小石が一個、ビニールと太陽の光です。たったこれだけのもので海水から真水が取り出せるのです。この知識があるとないとでは雲泥の差ですが、その基本となるのはやはり宇宙の法則や英知に対する信念であると思います。

 

 

 

●古代から宇宙的な「地球援助計画」が実行されていた

 

 

 

 ユダヤ民族は宇宙的な使命をもった民族だと思うのです。旧約聖書には有名なモーゼという人物がでてきます。彼はエジプトに奴隷的な生活をしいられていたユダヤの民達を、約束の地のカナンへ脱出させた指導者でした。

 

 しかし彼らはエジプトをでて40年の間荒野をさまよい続けました。この間の記述をみると、彼らは昼は雲の柱、夜は炎の柱に導かれたとあります。そして野営地では、その柱がたいまつのような光を放って辺りを照らしていたのでした。そしてこの雲の柱は小さいものではありませんでした。エジプト軍が追ってきたときには、彼らとエジプト軍の間にはいって行軍を阻止しました。エジプト軍は昼間なのに闇に包まれたといいます。これは一体何でしょうか。

 

 アダムスキー氏の書籍を読むとその正体が容易に想像できます。それは巨大な葉巻型宇宙船ではなかったかということです。葉巻型母船がフォースフィールド(異星人の宇宙船の周囲に存在するエネルギー場)に取り巻かれている時には、白い雲がそこに存在しているような外見を呈します。また夜にはそれが光を放つと「炎の柱」のように見えるのです。

 

 ユダヤの民たちは昼も夜もそうした存在に導かれ、必要な時には助言を与えられました。こんなことを40年も続けたという事は何を意味するのでしょう。それは彼らが全員UFOコンタクティーになったということです。そして、中には宇宙人との混血も生まれたのではないでしょうか。40年というのは当時の人たちの寿命にも近い長さだと思います。そして脱出したときについてきた大部分の人たちは荒野で世を去ってゆきました。残ったのは新しく生まれた人たちです。これが何を意味するのでしょう。もしかしたら新たな教えを一つの民族に浸透させるのに必要な操作であったのかもしれません。

 

 そうした歴史的背景があったからこそユダヤ民族は数千年の歴史をもち、いまだに語り継がれる書物を残しえたのです。そして彼らの残した思想は今も世界中に大きな影響を与えています。キリスト教は愛の宗教と言われますが、彼らは金星からきた人たちが主体であったと考えられています。

 

 とはいえユダヤ民族の歴史は決して平坦なものではありませんでした。彼らには必要なときに預言者やメシアが出現しましたが、2000年前のイエスの活動のあと国家を失い、世界を放浪しなければなりませんでした。こうしてローマ帝国が滅んで数百年を経てから1948年にふたたびユダヤ人の国家が建国されたのです。これも聖書に預言として書かれていることでした。

 

 こうした観点から歴史を考察すると、これからはスペースピープル達の意図した時代へ入っているのは明白です。それは彼らがある意図をもって活動していることがわかっているからです。そして彼らの活動は今も続いています。

 

 

 

 余談ですが、アダムスキー氏は1891年にポーランドで生まれました。そして、1952年にスカウトシップから降りてきたスペースピープルから核爆弾の危険性を指摘されました。そして、核兵器をちらつかせて対立した「冷戦」が終結するきっかけとなったソ連の崩壊が、彼の生誕からちょうど100年目の1991年だったのです。これは偶然の一致でしょうか。わたしにはその背後に何か特別な力が作用しているように思えるのです。つまりスペースピープル達の活動です。

 

 

 

●スペースプログラム(地球援助計画)に参加しよう

 

 

 

 それでは彼らの計画はどのような未来を持っているのでしょうか。聖書にはもはや悲しみや労苦のない平和で理想的な世界の到来が示されています。それで予測できることは、いずれは私たちも宇宙の隣人達とともに住み、生活をエンジョイできる時代になるであろうことです。

 

 前記の事実とかアダムスキー氏の著述から類推すると、地球人も最終的には宇宙船を駆って宇宙を飛び回り、生活の大半を宇宙旅行や様々な楽しみ、宇宙の研究に費やすような宇宙の住人の一員となる時がやってくるはずです。

 

 その時までには、古事記や日本書紀に祖先が天空から飛来した伝承をもつ我々日本人も(アダムスキー氏は土星からだと言われる)きっと何かの大きな役割を果たすであろうと思うのです。

 

 土星は天秤に象徴されるバランスや公正さを表すといわれ、また惑星間会議が開催される場所として太陽系の中心的役割を果たす惑星です。またその住民たちは、惑星全体が一家族のように親密な関係をもって住んでいるといいます。

 

火星から来た祖先をもつと言われるゲルマン民族(主としてドイツ人)は、科学工業の分野で得意な才能を発揮しました。また中国に飛来したスペースピーブル達は特異な建築様式と独特の包容的思想を残しました。さらに中東に飛来したグループは、独特のドームのあるモスクと宗教を残しています。我々日本人もその本来の特性を生かしつつ地球世界の発展に貢献してゆけるはずです。それが何なのか、私たちは今、自分たちの内部へも探索の手を伸ばして行くべきでしょう。

 

そして求める理想社会や天国は、遠い未来とか別世界ではなく、今、この世界に実現するよう努力すべきだと思うのです。そうでなければ、未来でも別世界でもそれは実現できるわけがありません。いま現在の想念が大切であり、それによって環境が少しずつ理想的な状態に変わってゆき、いま居るところでそれを実現するようでなければならないと思います。そうすれば、どこにいっても理想的な環境がつくれると思うのです。ここで重要なのは理想の早期実現よりもそれを志向する精神的態度なのです。

 

 ところでこの太陽系の比較的近くに新たな太陽系ができたことが「金星土星探訪記」には書かれています。そして、新たな太陽系の出現は、12個でひとつの組になっている太陽系グループ中の最も古い太陽系の崩壊を意味しています。この崩壊すべき太陽系が私たちの住むこの太陽系だとしたら、私たちはいずれ他の太陽系に移住しなければなりません。でも、それはたぶん遙かな未来の話でしょう。

 

 けっきょく最終的には「新しい天と地」に私たちは住むようになるはずです。しかし、その前に地上の人類の一体化が必要です。それが達成されてからはじめて、他の惑星の住人達との接触が可能になると思われるのです。

 

 そのようなわけで、わたしはこれから起きてくるであろう「スペース・プログラム(地球人類救済計画)」に注意を向けてゆきたいと考えています。

 

さらには、あと350−400年後におとずれる太陽系の動向(前述)があります。このためにはちゃんとした家庭を持ち、子孫を教育して、前記の知識を伝えてゆかなければならないでしょう。そして、他の太陽系へ移住するための巨大な宇宙母船の建造も必要です。それにはあらゆる産業が一丸となって努力する必要があります。わたしたちにはそれらすべての下準備が委ねられているのです。

 

来世紀にはかつてのコロンブスのように、広大な宇宙へと人類は旅だつはずです。そして、最終的に新しい天と地に到達するのです。それはかつて米国へ移住した人たちの夢であったことでしょう。しかし今度の新世界には貧富の差もなく、気苦労や悲しみもない、平和で天国のような世界になることを信じたいものです。

 

上記のことのために、今からなすべきことはたくさんあります。そして、この活動は本来は精神的なものなのです。

 

 

 

●永遠の生命の連続と宇宙の学校への参加

 

 また今世では移住組に参加できないとしても、よき来世と転生先をもつための努力はできます。

 

古代ユダヤ教のエッセネ派は、魂の永遠性を信じていたとヨセフスは書いています。

 

これまでキリスト教では、生まれ変わりはない、と言われていました。しかし、ニコデモはイエスに対して「永遠の生命」に関して問いかけをしています。そしてイエスのお答えは確固たる肯定でした。

 

また、イエスが十字架にかけられたときに、隣の杭に付けられた罪人に言った言葉「あなたは今日わたしと一緒に楽園(パラダイス)にいる。」もそのことを暗示しています。

 

また、コリントの信徒への手紙1の15章には「死者の復活」に関して述べられています。つまり人間には霊の体と肉の体があり、両者は常に一体である。そして秘儀(秘密の教義)として、人間が死ぬと眠りにつくのではなく、一瞬にして変えられる、と書かれています。ところで、人間の肉体と霊の体は常に一体だと書かれているので、死んだ後は別の肉の体を得なければならないことになります。これは通常「出生」により起こるはずです。この死と生の間は、聖書にあるように「一瞬」なのかもしれません。

 

アダムスキー氏もその著書「生命の科学」で、「生まれ変わり(転生)」に言及しています。彼によると第1課と第10課を習得すれば好きなところに転生(生まれ変わる)できるといいます。

 

アダムスキー氏によると、人間は体験を通じて学び、さまざまな生涯をすごします。そしてある惑星レベルで十分な学習を行うと、さらに進んだ体験を得るために別な進化した惑星へ転生するのだそうです。これは、地球に存在する学校に例えられます。

 

つまりひとつの学年を卒業すると、次の段階へ進むことができるのです。このことは、宇宙全体を通じて行われていて、全宇宙に無数に存在する地球に似た惑星やさらに進化した惑星群、または進化していない惑星群があって、膨大な数の人間達が転生をつうじてこの進化の段階を上っているといいます。

 

そのようなわけで私達は、地球を卒業して次のレベルの惑星群へ転生する準備をするべきなのでしょう。もちろん地球と同レベルの惑星群も多く存在しているはずなので、転生先に困ることはないはずです。

 

 その視点から考えると、同じ地球に生まれた私たちは似たようなレベルであり、またある部分では似たような魂の目的を有していると言えるのではないでしょうか。つまり宇宙の中で、今、同じ地球の上でいっしょに生きている。これはとても重要なことではないかと思うのです。

 

 聖書にはイエスにどの掟が重要なのかをたずねた人のことが書かれています。

 

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書 22−36)

 

つまり、まづ最初に「神である『主』」を愛しなさいというのです。「主」とは何でしょうか。少なくとも自分の従うべき主体であるはずです。これを聖書では「父なる神」とも表現しています。つまり(父=神=主)という図式がなりたつようです。

 

 また、マタイによる福音書(14−9)にはこう書いてあります。

 

「イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。』」

 

 アダムスキー氏は、真に自分を支えている「宇宙の意識」(=神)との一体化を著書「生命の科学」中で力説しました。彼の言う自分自身の宇宙的半身である「宇宙の意識」、「それとの一体化」とは何を意味するのでしょうか。これは十分に研究する余地があると思うのです。

 

いずれにしても道のりは長いようです。「百里の道も一歩から」「人生は重き荷を背負いて遠き道をゆくがごとし」と先人はいっています。一生涯において、どれだけ宇宙的な果実を摘み取れるのか、あるいは有意義で楽しい人生を過ごせるかはその人の意思にかかっていると思います。焦らず堅実にすすみ行こうではありませんか。そして、いずれは宇宙の学校の中で今とは比較にならない視野と仲間達をもつことになると思うのです。

 

 この文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。あなたにも父なる「宇宙の意識」からの大いなる援助がありますことをお祈りいたします。