アダムスキー哲学の生かし方

久保田八郎

 

  この記事は、昭和六十年十月二十日に山形県米沢市で行われました、第六回山形・仙台合同支部大会における久保田八郎先生によります講演「アダムスキー哲学の生かし方」を文章化したものです。
 このたびの講演では、宇宙の意識についての説明を自然治癒力で話されて、これまでより一層アダムスキー哲学の理解に役立つものと思います。そして、コンタクト時代にふさわしいスペース・ブラザーズが身近に感じられる内容になっています。

 

編者 (掲載許可済み)

 

 米沢に参りましたのは、今回で二度目なんですが、大変静かな落ち着いた町でありまして、非常に温厚な土地柄を感じます。これからこちらの山形県、宮城県方面のGAP会員の方々は大変まじめな真剣な方ばかりでありまして、心から感謝しております。

 

 

GAP活動の正しさの証明

 

 GAP活動が絶対に正しかったということの一つの証明になるものがあります。この前の九月二十二日に東京銀座ガスホールで総会をやったんですが、私のやりましたつたない講演の前に遠藤君が講演をやりましたね。これは、アダムスキーが金星人からもらった例の金星文字を解読して、そうして円盤や母船に用いられている推進原理を理解して画期的なエンジンを開発しようというわけで、今遠藤君が大研究をやっているんですが、それの中間報告的な講演が総会で行われました。その遠藤君の大研究がすごいものです。あれは、私の見るところでは、一種の永久モーターであって、永久モーターでありながら、しかもある原理によって、そのモーターの中心部に重力場の中心が出来て地球と同じように引力を持つわけです。

 

 引力というのは磁石にもあることは小学生でも知っていますが、磁石の引力というのは、鉄のような金属だけを引き寄せるだけで、人間の手を磁石のそばへ持っていっても引っ張られませんね。こんな有機質ではダメなんです。無機質のものでないとダメですね。円盤とか母船のような別の惑星からきた宇宙船は地球と同じような万有引力を持っているわけです。何でも引っ張り寄せるというこの重力場を持たせないとダメなんですね。重力場を持たせることによって、それが地球の重力場と釣り合いを保って結局無重量状態になるわけです。

 

 遠藤君はなかなか慎重でして、私にもあまり言わないんですが、もし遠藤君がそれを作りまして、それが重力場を持つようになったならば、空間に手で持ち上げて手を離したらそこでポカッと止まるはずです。無重量ですから地球に引っ張られない。そしてちょっと押してやれば慣性の法則によってスーッと空間を移動するはずです。それほどの無重量になればごくわずかな推力でもって、高速に近いスピードで飛ぶというのが円盤の原理であるとアダムスキーが全集第二巻の中で言っています。だから研究家が物質そのものを反物質的なものにして地球に反発させて浮かび上がらせようという研究をやっているようですが、そんなもんじゃないですね。

 

 その画期的な大発明を今遠藤君がやりつつあるところでして、これが完成したならばおそらく世界でも誰もまだやったことのない大発明になって、ノーベル賞を一つ二つでなく取れるほどの大発見になるでしょう。ただし、南アフリカのバンデンバーグはそれを開発して誘拐されましたね。行方不明になってしまいましたんで、そういう例に鑑みて遠藤君が誘拐されちゃ大変ですから、極力慎重にして、すぐに急いで発表するするというようなことはまずやらないでしょうね。当分は極秘にして、そうして適切な判断力によって密かにそれを応用出来るような何らかの処置をとるようになると思います。もし、それが軍事力に応用されたら大変ですからね。ですから実際もうGAPに対する正しさというものの証明は、松山事件、その前の高松事件、それともう一つは遠藤君の大研究ですね。この三つになるわけです。ですから日本GAPというものを単なる猟奇趣味的な人々の集まりみたいなUFOの研究グループだというようなものじゃないんでして、非常に重要な要素を帯びてきたということが言えますので、私たちも真剣にやらなくちゃいけないということをこのごろ痛切に感じるわけです。
 したがって結局私たち一人一人がみんな宇宙的フィーリングを持った宇宙的な人間に成長するということが大変重要なんですが、今日は「アダムスキー哲学の生かし方」という題になっておりますのでそういうことにつきましてお話ししようと思います。

 

 

 

宇宙の意識が導いた

 

 私自身の例をあげますと、ご承知のように七月五日に私、左足を骨折したんです。骨折といいましても、すねの大骨を折ったわけじゃなくて、足の甲が(手で示しながら)こうありまして中に五本ほど小さい骨があるのですが、その一番外側が折れただけですから一応病院へ行ってギブスをはめたりして適当な処置をとってもらったわけです。それはまあいいんですが、このニュースが電撃のごとくGAPの内部に伝わったと見えまして「久保田ともあろうものが骨折するとはいったい何事か」「あれはハッタリだったのか」というふうに思った方があるかもしれませんが、実はあれはハッタリじゃないんです。なぜかといいますと、あれは骨折することによって私はもっと大きな災難を逃れることが出来たのです。これを"小難をもって大難を逃れる"と言います。

 

 どういうことかと言いますと、実際に大難にあったわけじゃないですから断言は出来ませんが、たぶんこういうことだろうと思います。つまり毎年夏にGAPでは海外研修旅行をやります。今年は八月にエジプト・イスラエルの旅を企画しておりまして、私も行くことになっていたんですが、実は六月、七月にかけて私、体の調子が非常に悪くて、たぶん血圧がかなり高かったと思いますが、体の調子が悪いものですから、これは今年夏に旅行に行けば現地で特にアフリカ大陸のエジプトのルクソールというようなところへ行ったならばぶっ倒れてしまい、今頃はもうエジプトの砂漠の中に私の骨が埋められて、もうこれでGAP活動も何もなくなってしまい、ここの大会も全然出来ないような状態になっていたかもしれないというような状態でした。

 

 それで私はどっちかといいますと今年の旅行はあんまり気乗りはしなかったんです。そこで私の内部の意識が―――宇宙の意識というものはみんなあるんですが―――私を導いてくれまして、「今年は行くな家で静養しておれ」というわけで七月五日に意識が私を導いたと思うのですが、秋葉原の駅前へ出かけたんですが、駅前広場の少し浅くなった穴ぼこみたいなところがありまして、そこへ左足を突っ込ませて、それで骨折を起こさせて、それが私を静養させるきっかけになったと思うんです。そのために体の調子が非常によくなりまして、総会にも無事出ることが出来たわけなんですね。

 

 

 

「これでよくなるんだ」信念と希望を持とう

 

 ですから何か災難があったように思われても決して失望する必要はないと思います。それはたぶん内部の意識の計らいによって今後またさらに良くなるためのきっかけかもしれないですね。よく引き合いに出すんですが、プロレスラーのジャイアント馬場さんですね、あの方が昔巨人軍の投手であったことは誰も知っているんですが、ある時野球の合宿所に泊まっていた時に、風呂へ入ろうと思って風呂場で石鹸のヌルヌルで足を滑らせて、ひっくり返り、肩をひどく打って痛めてしまった。投手は肩を痛めたらもうダメですから、普通の人ならもうそれでヤケになるかあるいは非常に失望してしまうかもしれませんが、しかしあれだけの方ですから、それでもって野球生活をあきらめて、今度はプロレスラーになろうと決心したのですが、それが良かったんですね。世界的な大選手になったわけです。

 

 こういうわけで、何が幸いになるかわかりませんので、少々の災難でくじけたり失望したりしてはダメですね。「これで良くなるんだ」という大きな信念と希望を持つ必要があります。

 

 私が骨折いたしましたのは七月五日の秋葉原の駅へでて広場を歩いているときです。それはなぜかと言いますと、その日印刷所に頼んだ印刷物がありまして、それをどうしても取りに行かなくちゃならなかったわけです。ところが足をケガした穴ぼこというのは非常に深い穴かというとそうじゃないんです。ほんの浅いちょっとへこんだようなところでして、後からたびたびあそこへ出かけたときにそこを見ますのに、こんなところでなぜ骨折したのかと思って自分でも不思議になるくらいです。普通の人だったら捻挫もやらないところです。なぜそこで足が折れたのか不思議でしょうがないんです。ところが不思議なのはそれだけじゃないんです。だいたい骨というのは一ヶ月でくっつくそうですね。しかし一ヶ月で足の骨がくっついたら、もうそれでまともに歩けるようになるかと言いますと、そうじゃないんです。特に足の場合はですね。足の甲の骨が折れたらこれは非常にややこしいんだそうでして、二ヶ月くらい足を使いませんから、骨はくっついても足の裏がなえてしまいまして、まともに歩けないんです。骨がくっついてもビッコをひいて歩くようになります。人間の足というのは考えてみますと、歩くのはどういうふうにして歩くかと言いますと、まず地面に足のかかとの方を先につけてそれかずーっと足を動かし手先のあたりでひょいと力を入れて蹴るようにして前に前進するわけです。ところが足の甲の先の方に限って力が入らない。全然力が入らないんです。たった二ヶ月足を使わなかったばかりに・・・。で、病院の先生によりますと、完全にビッコをひかないで治るまでに十月いっぱいかかるだろうと言うことでした。

 

 

 

ミラクルワードで奇跡が起きた!

 

 そこで私は九月二十二日に総会がありますので、総会のステージでビッコひいてでたんじゃみっともないですから、何とかして急速に治そうとしまして、九月十一日夜に猛烈にミラクルワードを唱えて「治る、治る」という言葉を三時間くらい唱えたんです。それから治って元気良く歩いているイメージを描いたですね。これは、夜寝るときにベットの上に仰向けになって唱えたんですが、そういう場合は唱え方がありまして、置き時計を枕元においてかちかちという音に合わせてリズミカルに「治る、治る」というふうに唱えますといつまでも唱えられます。それを三時間くらい続けて、さすがに唱え疲れてそのうちに眠りましたけれどね。そうしましたら、明くる日起きたとき、私はあんまり気づかなかったんですが、用事があって外へでることがあったもんですから、草履を履いたままで外へ歩いて出ましたら何ともなしにビッコをひかないで歩けるんです。左足が全く正常になったんですね! こういうことは医学上ちょっとあり得ないことのようです。ああいう場合は急速に日に日に良くなるというもんじゃなくて、当分何十日もビッコをひいて歩いてそのうちいつの間にか自然に治って来るというような状態が普通のようですが、それが完全に治ったんですから、まさにこれは奇跡ですね。それ以来何ともないんです。

 

 ですから、九月二十二日の総会には全くまともに私は出席できました。十月いっぱいどころか九月の中旬までに完全に治ったわけです。そういうわけでして、ミラクルワードを唱えるということ、それからイメージを描くイメージ法は奇跡を起こす一番の原動力になりますから、みなさん方も何か望ましい物事があればそれを一つ応用されるといいでしょう。病気治しだけじゃないんです。何でもいいですからね。

 

 それでこのミラクルワードを唱えて自分の望ましい物事を実現させるということは、エゴの現れだといって批判する人があるそうですがとんでもないことです。人間は自分の望ましい物事を実現させようという自由がある。そしてそれを実現させる偉大な力を持っているのです。そういうことをエゴだと言っていたら、何もできませんよ。学校へ入って勉強して、それから職業に就こうという望みを誰も持ちますが、これもみんなエゴの現れだということになれば学校へ入れなくなりますね。エゴというのは、人のことを考えないで自分だけが良いことをしようというのがエゴです。それからもう一つ私が骨折で感じたことは、最初にレントゲン撮りましたとき、骨が離れてこんなふうになっているわけです。そして飛び出ているのです。外側の骨がグッと山になって飛び出ているわけですね。これがひとりでにくっつくんかなぁと思っていたんですが、看護婦さんがギブスをはめてくれるときに聞いてみましたら、これはひとりでにくっつきますよと、こともなげに言うわけです。

 

 

 

自然治癒力は宇宙の意識の現れ

 

 ギブスが治すんじゃないんですからね。ギブスというのはあれは足の甲を動かしちゃ良くないですから、L字型に固定しておくために石膏でもって固めてしまうんでして、これが治すんじゃないんです。もちろん病院の先生が何か接着剤を使って骨をくっつけてくれるわけでも何でもないんです。しかしひとりでに骨がグーッといつの間にかくっついて、一ヶ月たったら完全にくっついていましたが、これは実に不思議です。人間のどんな科学をもってしても接着剤がどんなに進歩してもすぐにその場でくっつけることは出来ないんですが、それがほっといてひとりでに骨同士がくっつくというのは、明らかに骨の切断面の細胞群がお互いに相手を求めあっているわけです。求めあっていてそうしてくっつこうくっつこうとしているわけです。明らかに細胞は生き物ですね。これは人間の知恵や力でもっても到底及ばないことです。で、細胞群を生き物のようにくっつかせる原動力である英知といいますか、そんなものが全身にあるから全身どこの骨を折っても自然にくっつきます。この英知またパワーをアダムスキーは「宇宙の意識」といっているわけです。これを普通は自然治癒力というわけです。この自然治癒力が実は宇宙の意識だということがハッキリわかります。病気して見りゃハッキリわかるんです。骨折ばかりじゃなく、風邪をひいても何日か布団をひっかぶって寝てりゃ自然に治るんです。これはやっぱり内部の宇宙に意識が、人体を完全にさせよう、健康状態にさせようとして働きかけている現れでありまして、この自然治癒力イコール宇宙の意識だということに気がつかないという手はないんです。ところが、一般の人はそこまで考えないですね。病気が自然に治るということは皆知っていますけれど、それは自然に治るんだという程度しか考えていない。誠に残念なことです。内部にすごい宇宙的なパワーがあるんだということまで考えようとしない。まあそういうふうに人間の内部には明らかに宇宙的なパワーまたは英知がありますから、そのことをハッキリと認識する事が大切です。

 

 

 

センスマインドと自然治癒力との一体化

 

 その宇宙の意識というものは人体ばかりじゃなく、あらゆるものを造り上げています。無生物も。たとえばここに台があります。これは原子の塊です。そして原子、分子を存在せしめた英知またはパワーがやっぱり中にありまして、そうしてこういうふうなものを造り上げているわけですから、宇宙の意識というのはこの無生物の中にもあるはずです。ただし無生物には人間のような自由意志を与えられてはいません。これ自体がものを言ったり動き出したりする事はないですけどもね。でもこれは宇宙の意識の現れだということになるんですが、一般人はそのことに気がつかないで、目で見えるものや耳で聞こえるものなど、表面的なものしか知覚できないんです。ところがその内部にはものすごい英知、人体でいえば自然治癒力が含まれていますから、その世界に気がついて、その世界にのめり込んでしまうんです。宇宙の意識の世界にのめり込むんです。

 

 のめり込むといいますがね、これまたちょっと説明が難しいんですが、宗教的な表現になりますけれど、この現象の世界の中に神の世界というものがあるわけです。神と言いますと、宗教的になるもんで、あんまりこの言葉を使いたくないんですがほかに言いようがないですから・・・。その神の世界の中に自分が入り込んでしまうんです。というのは、そのフィーリングを起こすんです。そういうフィーリングを・・・。そういう感覚をですね。こりゃちょっと難しいですがね。口で言うのは簡単ですがなかなか難しいんです。

 

 そういうフィーリングを起こしたつもりでも、いつの間にか目で見えるほんの表面の世界、耳で聞こえるほんの表面の世界に帰ってしまって、その方にとらわれてしまっています。で、その神の世界と言うべき、いわばバックの世界、表面じゃなくバックの世界に入り込んでしまいますと、つまりそういうフィーリングを持ち続けますと素晴らしいことが起こってきます。それは自分のセンスマインドというものを、いわば自然治癒力の方向にもっていって自然治癒力と一体化させるわけですから、自分の運命が歪められるはずはないんです。

 

 

 

人を裁くことを完全にやめたとき

 

 そしてその神の世界に入り込みますとね、まあ神という言葉はあんまり使いたくないんですが、どうもしょうがないんですが・・・。テレパシックなフィーリングが必ず起こってくるはずです。それはなぜかと言いますと、その神の世界に入り込んでしまったらもう他人を裁く必要がなくなってきますから、したがったテレパシーの本当の能力が出て来るというわけです。他人を裁くというのは、これはセンスマインドが自分勝手に一つの価値基準を持っていて、それに他人を当てはめようとしていることです。そういう自分だけの自分勝手な価値基準を持っていたらダメなんです。とかく人の噂をしては、あの人はよい人間だ悪い人間だとか言って裁きますが、どうもそういうことはいわば現象のマインドの世界によることであって、そういうことをやっていたらダメですね。ですから、この間の総会でもお話ししましたようにある会員の人が他人を裁くことをやめたときにテレパシー能力が出てきたということです。そのテレパシー能力はどんな程度かといいますと、ただ何となく印象がわき起こってくるというようなもんじゃなくて、他人の想念がまるで電話の受話器を当てて相手の声を聞くように頭の中で声が響いて来るんだそうです。まあだいたいスペースピープルは皆その程度の力があるらしいんですがね。

 

 だいたいテレパシーの能力はそこまで行かないと本物じゃないということのようですね。なかなか難しいですが、しかし一人の人がアダムスキーの「テレパシー開発法」や「生命の科学」などを読んで勉強して、そうして人を裁くことを完全にやめた時にその能力が出てきたというんですから、我々も同じ人間ですから出来ないことはないはずなんです。出来ないのはそういうことをやらないからです。人を裁くということをやめるというような実践をやらないから能力が出てこないと思うんです。で、本当にそういうすごい能力を開発した人は、ペラペラしゃべらないですね。もし、そういうことをしゃべりますと、一般地球人はそんな能力がないですから、かえって気味悪がってのけ者にするでしょうね。たとえば今の遠藤君はオーラが見える特殊な能力の持ち主です。したがってオーラによって他人の現在の精神の状態が皆わかるようですね。でも遠藤君は滅多に言わないですね。これが偉いところです。もし、遠藤君が人を見る度に、あんたのオーラは良いとか悪いよとか言おうもんなら、かえって遠藤君は嫌われる結果になるかもしれない。あんなの来てくれない方がいいとか言って皆よけるようにするでしょうね。だから本当の能力のある人は黙っていると言うことなんです。他にもGAP会員の方の中にはテレパシー能力を相当発揮している人が何人かいますが言わないですね。そこで、GAPを辞めていった人たちがGAPを攻撃する材料として、GAPはああしてテレパシーの開発練習などやっているけれど、誰もテレパシー能力なんかでてきやしないじゃないか、久保田だってそうじゃないか、骨折やるじゃないかということを言って軽蔑したりする人もあるようですが、これは実情を全く知らない人です。と言って私が人の想念が声になって聞こえるほどテレパシー能力があるというわけじゃないですよ。若干ありますがね。時々声が聞こえることもあるんですが、しかし、いつでも指向性を持たせて、誰の想念でもちょうど電話で聞こえるようになりたいなあと思っても、なかなかそこまで行かないです。でもまあ一生懸命練習をやっていますがね。あるいは透視能力にしてそうですね。遠藤君は透視能力もあるんですが、やっぱり滅多に言わないんですね。私も時々透視の現象が起こることもありますがね、まあ、それは時々という程度であって、やっぱり指向性を持たせて、遠方にいる誰それが今家の中で何をやっているか、ちょっとのぞいてみようかということで、いつでものぞいて見れるかというとそういうわけには行かないですね。第一私がそんな能力を開発しても私は言いやしませんよ。他人の私生活を窓から覗いて見るような調子で透視して、その事をペラペラしゃべれば相手はいっぺんに嫌うでしょうね。

 

 

 

スペース・ピープルは正体を現さない

 

 だいいち地球に住んでおられるスペースピープルというのは、たぶんそのすごいテレパシー能力や透視能力を持ちながらも絶対にそんなことはおくびにも出さないで、知らん顔して地球人になりきって、ごく普通の生活や仕事をやっておられると思います。ちょうどあの円盤に乗った日本人少年の中にありますように、あの円盤に乗っていた方々はもう人間そのものであったいうふうに言っておられますね。とにかく一般地球人の中に混じって住んでいるスペースピープルというのは、人間そのものもいいところで、日本人そのものになりきって適当な名前を使って、周囲の人は全く気づかないで、やあ誰々さん誰々さんと親しく呼びかけて、同じ職場で働いているというような状態だろうと思います。それはそうでしょうね、地球人というのは別な惑星の方々から見れば恐ろしい地獄のような世界ですから・・・。

 

 ですから、スペースピープルは地球に住んでおりながら、絶対に正体を示さない。それは、やはり地球というものを非常に警戒しておられるせいだと思います。だからこれはよい意味での警戒であって、地球人を憎んでいるならだいいち地球を救済するために危険を冒して来るわけないですからね。警戒というのはむざむざ自分が殺される必要はないですから、そういう意味で警戒しておられるのだろうと思います。

 

 

 

全宇宙の平和・・・

 

 それで、九月二十二日に総会をやりましたが、これは大盛況でございまして、出席されました方々に厚く感謝しているんですが、その総会のちょっと前頃、中旬過ぎのある日、私はもうすでに足は治っていますから、何処へでも行ける状態でしたんで、ある場所としか言いようがないですが、ある場所でブラザーにお会いしたんです。その方がしょっぱなに私に質問して来られまして、こういうふうにおっしゃったんです。

 

「あなたは全宇宙の平和を望んでいますか?」

 

 これは大ショックでしたね。私はせいぜい地球の平和くらいしか考えていなかったもんですから、全宇宙の平和なんてそんなことまでは今まで考えたこともない。だいいち宇宙の広さなんてわかりませんからね。これは大ショックでした。

 

「もちろん望んでいます」と

 

一応答えたんですが、後から考えて、こりゃまた心にもないことを言ったなと思って大いに反省しました。全宇宙は何処まで広がりがあるのか知りませんが、無数の惑星がおそらくあるのでしょう。そして無数の人間が住んでいるのでしょう。その全宇宙の平和を望むというような雄大なフィーリングを起こすのが本当の宇宙的フィーリングだということになるようです。ですからある種の宗教団体は「世界が平和でありますように」という標識をあっちこっちに建てています。もちろん地球の平和を望まないよりは望んだ方がはるかに良いのですが、地球なんてものは宇宙のほんのケシ粒ほどの存在でもないですから、その地球だけの平和を望んでいるんじゃ、これは本当の宇宙的じゃないということでしょうね。

 

 

 

真実だけを追究しなさい

 

 続いて言われたことは、

 

「真実だけを追究しなさい」ということです。

 

 真実のみということは、アダムスキー問題が真実そのものであるから、このアダムスキー問題だけをやっておれという意味にもとれますね。まあそういうふうにしまして、とにかくアダムスキーの宇宙的な哲学、これはもう絶対に間違いのない哲学であるということは今のテレパシー開発の実験の例によってわかるんですが、これも絶えず自分で、その様に意識の世界にのめり込んで、そうしてその意識の目でもって物を見るのです。何百キロ先までも見えるはずなんです。あるいは意識の耳で聞く。いわば望遠マイクです。意識の耳は望遠マイク。遠い所にいる人が話し合っていることもハッキリ聞こえるというような、そういうフィーリングをもって生きるような生き方ですね。これは日常生活でも全く必要だと思うんです。それを絶えず自分のクセにしてやっておりますと次第にそれがだんだん出てくるはずなんです。

 

 それからもう一つ重要なのは、テレパシー開発やあるいは透視力の開発で、やはりあのミラクルワードを唱えたり、イメージを描いたりして、自分がすでにすごいテレパシーの能力を開発したり透視力を開発して、それを自由に駆使して人を助けているような人間になったイメージを描くんです。そうしますと、イメージで描くことは実現しますから、実際にそういう人間になった姿を描くと良いのです。(以下略)

 

 

 

質疑応答

 

 

 

質問不明

 

A これもわかりません。アダムスキーによりますと、人間というべき哺乳動物が住んでいるということですから、結局私たち地球人のような人間と全く同じような人間が全宇宙の至る所にいるのだろうと思います。いつ頃人間が、最初何処で生まれた? これはわからないことです。永久の昔、人間が創造されて、それが広がっていったと考えられるんですが、これはやっぱりわかりませんです。

 

 ただし何億光年の彼方の計り知れない遠方に、どこかに惑星があって、そして私たちと全く同じような人間が住んでいて、そこには日本と同じような国があって、米沢と同じような町があって、そして私たちと同じような宇宙的な活動をやって、こうした会合を今どこかで開いているところがあると考えても決して不合理じゃないですね。大宇宙には無限の惑星があると考えられますので、 その惑星の中には私たちと同じような会合を開いている惑星が何処かにあるに違いないと思うんです。それほど宇宙は無限であり、また無数の惑星があって無数の人間がいるということはいえると思いますね。その程度しか私にはわからないですがね。

 

 

 

Q 松山事件で天中童の証言をたった一人理解されたお坊さんがいましたが、そこにあった詩などを見て感動を覚えました。このお坊さんもすごい人物と思いましたが、先生はどのようにお感じでしょうか。

 

A これは大変な方でありまして、やはり宇宙的なカルマを持った方であったろうと思います。それ以外のことは私にはわかりません。

 

 

 

Q これから朝霧高原でのUFOのような私たちをまるでテストしているような感知力を試すようなことが増えてくるでしょうか

 

A これはさっきの講演でお話ししましたように、今後はかなり増えて来るんじゃないかと思います。結局日本GAPが非常に真剣に本当の宇宙的な正道に沿ってやってきていることがかなり認められてきて、そうして私たちの忍耐力も相当試されて、このグループならまず本物だというふうに認められて来たことを感じますね。ですが、そのためにおごり高ぶってエリート意識を持って他のグループなんか問題じゃないというふうに考えてはちょっと具合が悪いんですが、しかし先程申しましたように、非常に次元の低いグループと一緒に手をつないでやって行くというようなことは混乱の起こるもとですから良い意味において私たちはやはり警戒しながらやって行く必要があると思いますね。

 

 

 

Q 月は人工の天体ではないかとする説がありますが、この考え方について先生はどのように思われますか。

 

A これは、「七つの謎と奇跡」という本の中で取り上げてみたんですが、ドン・ウィルソンというアメリカの研究家が出した本がありまして、その本の中に月に関してかなり詳しく書いてあります。それによりますと、あの月は実は天然の月じゃなくて人工的に作り上げたものだという説と、それから、遠くにあったやつを宇宙船が引っ張ってきたんだという説がありますが、しかし、アダムスキーの「宇宙からの訪問者」を克明に読んでみますと、スペース・ピープル側は地球が形成されたときに、月がたった一つしか形成されなかったということを言ってますね。ですからやっぱりあれは人工のものじゃなくて自然に出来たものだろうと思います。ただし、地球の衛星、つまり一惑星の衛星としてはとてつもなく大きなもので、ちょっと異常な衛星ですね。しかも一方の片側しか地球に見せないで回っているというのも大変異常な回り方をしているわけですが、やっぱり自然に出来たというのが本当じゃないでしょうかね。

 

 

 

Q 地球以外の太陽系の各惑星はすでに太陽系が崩壊の過程にあることを察知して、別の太陽系に移動しつつあると考えられるでしょうか。

 

A 大体そういうふうに考えていいようですね。地球だけじゃなしに、この太陽系がすでに崩壊期に入っておると。かなりガタがいってしまって、人間でいえば八〇歳から九〇歳位の年齢に近づいているということなのでしょう。ですから地球で恐ろしい核爆発をこれ以上続けますと、それは外の天体にも非常に影響を及ぼしやすくなるんで、そこで別な惑星の方々は地球上での核爆発を極力やらないようにという運動をやってこられたわけです。ですが、強制するわけにはいかないものですから、いまだに核実験やっているんですがね。これはもう本当に危ない状態だと思います。

 

 

 

Q ダーウィンの進化論はどれだけ妥当性を持つものでしょうか。
A これは良く問題になるんですが、アダムスキーによれば、根本的には間違ったもののようですね。つまり、猿が人間に進化したというわけでしょう? これは間違いであって猿はあくまでも猿であって人間はあくまでも人間であったとただ随分大昔、猿人というのがいて化石が発見されたとか何とか。・・・(テープB面へ)・・・猿同様の原始人になった時代がいっときあるんです。その頃の化石が発見されてやれ北京原人とかなんとか言われているんでしょうが、あくまでも人間は人間であったというのがアダムスキーが言ってることなんですね。ただし人間もある程度進化するわけでして、肉体的にも精神的にも緩慢ながら進歩していることは確かです。だからそれは人間が進化するんであって、猿が人間に進化するという意味じゃないんです。

 

 

 

Q 地球では、地震、台風、竜巻など自然災害が発生しますが、他の惑星ではどうですか。また、発生するとしたら対策をどのように立てているのでしょうか。
A これは当然別な惑星も地球と同じような惑星ですから、やはり引力があり、そして空気を持っているわけですから空気の移動というようなものから台風もあれば地震もあるということで地球と全くかわらないようですね。ただそれに対しては、どういう対策かといいますと、これはもうテレパシーのすごい能力を持っていますから、地震の発生を人間自体が知ったりですね、あるいはまた科学が非常に進歩していますからそれを避ける科学的な方法を講じていると思いますね。

 

 

 

Q 現在、地球を周回している人工衛星は相当な数に上っていると思いますが、将来的に見て地上に落下する危険はないでしょうか
A ありますね大いに。ですから時々燃える物体が地球に落ちるとかよくあるようですがね、今地球の上空で回っている人工衛星は六百くらいでしたかね、それくらいはあるはずなんです。だいたは大気圏内に入って来ますと燃えるんですがね。燃えないでそのままストンと誰かの頭の上に落ちて来るというようなことはまずないと思います。やはりこれからはかなり危険なことでありまして、もういいかんげんに止めないと相当な災害が起こる恐れもありますね。

 

 ですがこの間、日本列島を横断した火の玉物体がありましたね。テレビでもやっておりました。あれは翌日の新聞を見ますと、アメリカが発表してソ連の人工衛星の燃えかすだったと言っておりますが、私はどうもアメリカがどうもそういうようなことを言ってごまかしてしまったなという印象を受けています。静岡支部の野口さんはあれを直接ご覧になったそうですが、物凄くきれいな状態で、しかも実際は何十キロもの長さに渡って光るものが尾を引きながらズーッと飛んでいるのが見えたということですから、単なる人工衛星の燃えかすのようなものがそんな状態で見えるはずはないんです。ましては普通の人工衛星が飛ぶんでしたら、これは私も何度も見たことがありますが、非常にゆっくりと等速度で飛んでいきます。それは一個だけ光って見えるだけです。ですからあれは私の考えでは、明らかにUFOの大船団であって、そうしてしかも、なぜ外国じゃなしに日本列島の上空を飛んだかということになりますと、これは非常に重大なある意義を持たせて飛んだと思うんです。そのことを詳しく今お話しする段階じゃないものですから、これ以上は言えませんが、かなり私たちの活動に関連した出現であったと私は見ています。いよいよの所はスペースピープルに聞いてみないとわかりませんがね。

 

 

 

Q アダムスキー関係の書物には、金星、火星、木星、土星の人々がよく出てきますが、他の惑星の人々があまり出ないのはなぜでしょうか。
A これはたしかにアダムスキーも言っていましたように自分が主にコンタクトしたのは地球に近い金星とかあるいは土星とかいうような人が主体なので、それ以外の惑星の人のことについてはよく知らないんだという意味のことを言っておりましたが、やっぱりアダムスキーが直接に主にあったのは金星人、土星人、あるいは木星人くらいで、それ以外の人にはあんまり会っていないだろうと思います。ただし、昔アダムスキーが私によこしました手紙の中で、中米のグァテマラという国がありますが、そこに木星人と海王星人のグループがあって、その人達が日本の久保田という者を知っていると言ったというふうなことを伝えてきたことがありますから、やっぱり海王星のような所からも来ている人が多少いるんだなということがわかりましたですがね。

 

 

 

Q 今まで、地球の歴史の中で、他の惑星から転生してきた人々は少なからずいたんでしょうか。
A それはもう今までの地球の歴史で偉大な指導者として有名であった人は、特に精神的な指導者ですね、これはもう別な惑星から転生してきて、そうして地球人の救済活動をやって、この生涯を終えてまた別な惑星に帰って行くという、そういうような方がたくさんおられたと思います。ですから、アダムスキーが「土星旅行記」で言っておりますように、土星会議の時に十二人の各惑星代表が並んだときに、それぞれまた十二人の偉大な指導者として知られた人であったという意味のことが書いてありましたですね。早い話が、旧約聖書に出てくる偉大な人がアブラハムとか、あるいはヨシュアとかいろいろな人が出てきますが、そういう人たちもやはり別な惑星から転生して来られた方が少なからずいらっしゃると思うんです。

 

 

 

Q 今の質問に付け加えてですが、科学者、哲学者などはどうですか。
A やっぱり偉大な科学者の中には別な惑星から転生してきて、そして大発見をやって地球人を救ったという人が少なからずあると思います。早い話がトーマス・エジソンですね、これなんか最たる人でしょう。それから、ニコラ・テスラという有名な科学者がいましたが、この方は前生が金星人だったと言われています。あるいはアインシュタインとかも別な惑星から一時来た人なんでしょうが、ご本人方はそんなことはちょっと気づかなかったかもしれませんね。地球へ来れば波動が違いますから、過去世のことは全て忘れてしまうんです。ですから、地球という世界は非常に人間を眠らせてしまうとも言えますね。

 

 

 

Q 二千年前エルサレムでイエスは処刑されました。イエスほどの人なら逃れることもできたと思うのですが、なぜ処刑される必要があったのでしょうか。その宇宙的な意義をお教え下さい。
A これは大変貴重な深刻な問題でして、キリスト教神学の中でも随分議論の的になっているんです。そもそもイエスが処刑にされる前夜、最後の晩餐をやりましたね。あれはシオン山という所で最後の晩餐をやったあたりに、本物の部屋じゃないですが、たぶんこんな部屋だったろうということで、十一世紀頃から十二世紀頃建てられた建物が今でも残っています。それは私どもも行ってみたんですが、そこで最後の晩餐をやりました。そうして、その晩餐会をやったときに、イエスがこの中に一人裏切り者が出てくると言いましたね。そこで十二人の弟子が皆大変驚いて一体それは誰ですかと言って詰め寄っていろいろ聞いたところイエスがこれだと言ったわけです。それはユダという人だったわけですね。で、そのあたりの記述からして実はあの新約聖書はちょっとおかしんです。なぜかと言いますと、イエスほどの方が裏切り者が出るということを承知の上で自分の十二弟子を選ぶはずはないんです。あれは大体八十人から推定百人ぐらいの常時一緒にぞろぞろついて歩く弟子の人があったはずなんです。その中でイエスが特別により分けたのが十二人です。十二人の弟子を集めて最後の晩餐をやったわけですが、この中に一人裏切り者が出るぞというようなことを言うわけがないですね。それは裏切られる人を傷つけることですからね。そこで、そのユダはあの時晩餐会から出ていったということになっています。そのあたりの記述からしてそもそもおかしいんです。

 

 そうして今度イエスはその後ゲッセマネの庭園へ祈りに行きます。祈りに行くときは今は鶏鳴教会という教会になってますが、あそこは大祭司の屋敷のあったところで、その横にかなり長い石段がありまして、そこを歩いて降りて、それからケデロンの谷というのを渡って向こう側のオリーブ山の麓のゲッセマネへ行ったわけです。行ってからのイエスは一晩脂汗を流して祈ったということになっています。それはつまり逮捕されてよいものか、あるいは逮捕されるといことは死ぬるということですから死んでよいものか、このまま逃げていいものかどっちにしようかと思って随分脂汗を流して祈ったということになっておりまして、そのイエスがへばりついて祈った岩というのが今でも残っています。これは苦悶の岩と言われているもので、かなり大きな岩です。そこの岩を囲むようにして教会が今建てられています。苦悶の教会と言いますが、万国民の教会とも言います。

 

 そしてそこで結局イエスは死ぬることを決めたのです。すると夜明けの方頃ですが、ユダが先導して、大勢の大祭司カヤパの手下達が連れてやって来るわけです。棒きれやあるいはひもやらなにやら持ってきたんでしょうね。そこでイエスは逮捕されるときに、「おまえは一体何のために私を逮捕するのか」と言っています。イエスが逮捕されるときに、私は堂々と人生をやってきたのに、何であなた方は私を逮捕するのかと言って逆に開き直っています。これは新訳を読むとよくわかるんです。夜中にですよ、夜中にもう自分は死ぬることを決めたというイエスがユダを先頭にしてやってきた連中に対して頭から怒鳴りつけて、何しに来たんだと言って逆に開き直るというのはおかしいでしょう? あのあたりの記述は完全にゆがめられていますよ。だから結局イエスは逃げようとしたんじゃなく、逃げられなかったんです。たぶん・・・。逃げられないでそのまま捕まえられたんだろうと思いますね。そこの所のハッキリしたことが新訳をどんなに読んでも研究してもわからないんです。かなり歪められたところがありますからね。

 

 だいいちあのユダが裏切り者ということになっていますが、これは私がアメリカのアダムスキーの高弟であったアリス・ポマロイさんから聞いた話では、ユダは裏切り者じゃなくて実際はイエスを助けようとしたんだと言うのです。だが結局は裏切り者にされてしまったんだというふうなことを言っていました。これは彼女がアダムスキーから聞いた話で、しかもアダムスキーは、おそらくスペース・ピープルから聞いたんでしょうから、まず間違いないでしょうね。そういうふうに新訳というのはかなり歪められている面があります。それをそのまま鵜呑みにして、全文書の一字一句に至るまで全然間違いのない事実だというふうに考えるとちょっと具合が悪いんです。イエスの言った言葉、宇宙の法則的な言葉ですね、自分を愛するように他人を愛せよとか、あるいは自分がしてもらいたいことを他人にもせよと言うような、あれは本当だろうと思いますがね。だからまず新約聖書そのものを疑ってかかるということでもないんですが、全部丸飲みにするわけにはいかないと言うことを私はこの頃痛切に感じているんです。ですから、あの時になぜ逃げなかったか、それともわざと殺されることにしたのか、どっちかというようなことは本当のところはわからんですね。私の推測では、たぶんもう逃げられなかったと思うんです。あんな狭い町ですから、今でこそエルサレムは旧市街と新市街が広がっていますが、昔の旧市街というのは、モーリア山に建っている神殿と、それに付随する部落だけですからね。逃げようとしてもまず逃げられないでしょう。当時のパレスチナは全域がローマ軍によって固められているんですから・・・。ですが、結局のところ真相は分からないということです。その他新訳を読んでみますと随分矛盾した、首をかしげざる終えないような所が他にもまだいろいろあるんです。しかしそんなことをいちいち詮索するよりは、イエスが直接伝えた宇宙の法則的な言葉ですね、それだけは間違いないと思いますので、それをくみ取って、その様な生き方をすればいいんじゃないかと思います。・・・(別テープAへ)・・・それでこれは握りつぶされてしまうかもしれない。そこを私たちGAPの方々はみんな直感力が鋭いですから物的証拠とかそんなこと言わないでこれは本当か嘘かもう皆さんお分かりになるはずですからね、そういうグループが取り上げたということが非常に大きな深い意味があると思うんです。ですから何度も申しましたように、これから日本GAPの役割が非常に重要なものになってくるでしょう。と同時に私たちもいい加減な考え方やいい加減な軽率な行動は出来ません。あるいはこの九十一号に発表したことによって、これを一つ叩いてやろうとしている邪悪なグループか何かがGAP外におるかもしれませんからそこは重々警戒しまして、とにかくヘビのように賢明に鳩のように穏やかにやっていかないといけないなあと私痛切に感じているんです。

 

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