意識の声 No.67 より

1996年2月号

 

永遠なるものを求めて

 

 「永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という」と識者は言います。たしかにそうでしょう。しかし地球人はこの一代だけが自分の人生であって、死んだら無になると思っています。なんという不合理な考えでしょう。死後に無になるような人間がなぜ創造されたのか、なぜ宇宙の創造主はそのような無駄な事をきまぐれに行なっているのか。人間の肉体一つを見ても驚異的に合目的的に創造されているものを、死んだらパーにしてしまうとはあまりにも無慈悲です。こんな皮相的な面だけを見ていると、ニーチェが言うように、この宇宙は盲目的な意思に支配されているという悲観的な思想が生じてくるのです。これでは救われません。

 

 大宇宙全体は万物の創造主であり万物の慈父であるとみなすべきです。そして私達が精神的に向上すればするほど、転生によって良き環境が得られると考えるほうが合理的ではありませんか。そのように考えることによって生き甲斐が生じるとすれば、それこそ真実の法則というべきです。

 

 

 

習慣的想念と習慣的行動を排除

 

 ただし精神的な進歩は習慣的想念のトリコになっている限り望むべくもありません。このことはアダムスキーが新アダムスキー全集第二巻「超能力開発法」でイヤというほど説いていますし、昨年度の総会でA・M氏も力説しておられたことです。そこで私は昨年一一月三日の東京月例セミナーの翌日の四日からアルコール類を絶つことにして、以来二ヶ月間、ビール一滴も飲まないことにして過ごしましたら、体調が大幅に変化し、全身が清浄化されたような状態になりました。今年一月五日、正月だというのでやっと二ヶ月ぶりに、家内がしまいこんでいたカンビールを一本だけ飲みましたら、えらく苦くて飲めたものではありませんでした。ビールとはこんなに苦いものかと驚きながら、なんとかして一本あけましたが、これでもってアルコールに対する魅力は完全に消失しましたね。その後、付き合いでアルコールを少し飲んだことがありますが、やはり以前のようにウマイものとは思えませんでした。もう私は酒タバコに無縁な人間になったようです。これでもって天の父の館では歓声があがったとみています。といって、ここは地球ですから付き合いというものを避けるわけにはゆきません。しかしその場合でも、私はアルコール類をごく少量ですませるか、出来ればウーロン茶ですませようと思っています。

 

 

 

祈り、すなわち宇宙思念を

 

 GAP会員で私宛に毎月「生命の光」という月刊雑誌を送って下さる方があります。この雑誌は内村鑑三氏の流れをくむ無教会派のキリスト教の機関誌のようですが、集会等で熱烈な祈りによって奇跡的に難病が瞬間的に治癒したという体験例がときどき出てきます。たしかに強烈な祈りを行なえば、その強烈な想念波動が肉体に影響を及ぼしますから激変が生じるのは当然でしょう。問題はその強烈さの度合いにあるようです。イエスが難病を奇跡的に治したのも、彼の超能力的な波動もさることながら、病人が「この人に頼れば治るんだ1」という強烈な想念が自分の身体に影響を与えたとも考えられます。これを奇跡というのでしょう。

 

 私はこの頃、宇宙思念を毎日続けています。もはやこれを無視しては生きられないほどに「宇宙の意識」すなわち「創造主」というものを意識しています。これを徹底的に自覚し、これとの一体感を強烈に起こせば起こすほど、私の精神性は昇華するのだという気がします。ここまでに到達したのは一朝一夕ではありません。試行錯誤の連続の結果、これを実践することの重要性を自覚するようになったのです。この宇宙思念は祈りとも言えますが、一般の宗教信者のような、すがりつくような祈りではなくて大宇宙との一体意識の高揚です。これを意識的意識といいます。これを続ければいつか何かの奇跡が発生するでしょうし、奇跡とまでゆかなくても人生に幸運がもたらされるでしょう。

 

 それと私が今更のように自覚したのは英語の力の貧弱さです。七〇歳代ともなれば暗記力が鈍りますので、アメリカの難解な英文図書などを読むと意味を忘れた単語だらけ。そこで年頭の一大決意のもとに、これから一年計画で四万語の英単語を丸暗記する作戦をたてました。教養ある英米人は平均三万五千語を知っていますから、四万語なら上々です。この場合、英文を読みながら学習するのではなくて、英和辞書や英英辞書そのものを小説本を読むように読みながら単語を覚えてゆくのです。知っている単語もかなりありますから、これは成功するでしょう。